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BUMP OF CHICKEN (バンプ)、Kの本当の意味

BUMP OF CHICKENで初めて聞いた曲は多分“K”だったと思います。
正直当時はKというタイトルの意味について、何か具体的に考えてみたことすらありませんでした。
ただ哀しいけれどとても良い話だった、また考えさせられた歌詞でもあります。

ある日そのKを聴かせてくれた友達から、“Kってどんな意味か知ってる?”と聞かれ、その時になって初めて、そういえばどんな意味でKなんだろ?と考えた次第です。

まだKを聴いてないって方は1度こちら(YouTube)から聴いてみてください、その後Kの意味も一緒に考察してみてください。

BUMP OF CHICKEN 「K」(YouTube)

ここではKの意味や、自分が聴いて感じたこと思ったことをお伝えしたいと思います。



Kのあらすじ

Kの歌詞の大まかな内容ですが下記まとめてみました。

忌み嫌われた黒猫に絵描きが出会う。
絵描きは自分と似ていると拾い上げるが、黒猫はその優しさが信じられず、その手から逃げ去る。
逃げても絵描きは追いかけ、最終的に一緒に暮らすようになる。
絵描きと猫は幸せに暮らしたが、ある日絵描きは病に倒れる。
絵描きは亡くなる間際、故郷で自分を待つ恋人に手紙を運んでくれと猫にたくす。
猫は遠い旅路でぼろぼろになりながらも恋人の家に辿り着く。
手紙を読んだ恋人は、動かなくなった猫にアルファベットを加え土に埋めてやる。

Kの意味

ここからは“個人的解釈及び意見”になります。
というのもKの意味について、BUMP OF CHICKENがこれですと公言した情報が自分が調べた限りでは見当たらなかったからです。

なのでここからは個人的解釈となります。
プラス他の方の意見でも一番よく目にするKの解釈は、結論から言ってしまうと、Holy KnightのKです。

絵描きは名を持たない猫に、黒き幸Holy Nightと名前を最初に授けました。
ですが、この時はHoly Night聖なる夜であり、Kが名前には付いていません。

黒猫はその後病で倒れた友、主でもある絵描きのために手紙を届ける旅に出ます。
季節は冬、雪の降り積もる山道を走って越えていきます。
雪道の途中転び、悪魔の使者がきたと石を投げられ、満身創痍になりながらもようやく恋人の元にたどり着きます。

そこで恋人が動かなくなった黒猫にアルファベットを1つ付け加え庭に埋めてあげます。
そのアルファベットが“K”です。

黒猫は命をかけて手紙を届けにきました。
罵倒と暴力に負けず、転んでも立ち上がり、手足を引き摺っても走り続け、手紙を届けにきました。
それは約束を守るために命を尽くす騎士の姿そのものでした。
騎士、すなわちKNIGHT、絵描きの恋人は最後に猫の名にKNIGHTの称号を授け埋めてやったのです。
聖なる夜(Holy Night)が使命を果たし、聖なる騎士(Holy Knight)として眠りについたのです。

Kの歌詞個人的感想

生きる意味

恐らくKを聞いて悲しんだり、泣いたりする方は多いんじゃないかと思います。
かくいう自分もかなり切ない話だと感じました。
ですが同時に素晴らしい話だなとも思いました。

というのも黒猫と絵描きは本当の友達になれたからです。
同時に生きる意味を見つけたからです。

お互いがお互いを見つけるまではそれぞれが一人ぼっちでした。
けれど、出会ってからは例え短い期間でも共に幸せな時を過ごすことができました。
不吉だと言われた黒猫に、清き夜と名付け、最後まで黒猫の絵を描き続けた絵描き。
命を懸けて友との約束を守り抜いた黒猫。
少なくとも心から相手のことを想い、命を懸けられる存在に出会えた、それはとても素晴らしいことだったんじゃないかと思います。

黒猫を立ち上がらせ奮い立たせたのも、友との約束でした。
自分が生まれてきたことに意味があるとすれば、この約束を果たすためだと。
黒猫はこの時初めて、自分の生きる意味、生きがいを発見したのです。

絵描きは最後の最後まで黒猫の絵をスケッチブック一杯に描き続けていました。
黒猫の存在は絵描きにとっても生きる意味でもあり、生きがいでした。

生きること、ただ生きること、それ自体はできます。
ですが、命をかけてまでなしとげたい何かに生きている間に出会う、その確率はどれほどでしょうか。

黒猫も絵描きも、出会うまではひとりぼっちでもそれぞれに生きていました。
ですが、出会ってからはお互いの存在が必須のものとなりました。
そして生きる意味へと変わりました。

例え最後お互いが倒れてしまっても、少なくともお互いが出会えた、生きる意味に出会えた、それだけでもとても幸せだったのじゃないかと思います。

結果より過程

自分がもう1つKを聴いて思ったのは、過程の大切さです。
これも“完全に個人的見解で、BUMP OF CHICKENは一言も公言していない見解です”のでご了承ください。

絵描きは正直、結果という観点でみたら、厳しいことを言うと全くダメだったと思います。
どんなに頑張っても結果を出していません。
そのお陰で自分が倒れ、最終的に猫まで犠牲となってしまっています。

“過程より結果”、よく言われることですが、自分も正直その通りだとも思います。
ですが、結果と過程どちらが大切かと聞かれると、自分は過程と答えます。

過程は現在進行形、つまり今という瞬間だからです。
自分が生きているのは過程という今です。
もちろんかといって、結果がなければ最終的にその過程は全く意味はないという意見もあります。
むしろそういった意見が大半だと思いますし、それはある種その通りだと自分も思います。

ですが本当にそうでしょうか?
本当に結果が出ないと全て意味がないのでしょうか?

それは結果が全てと感じている人にとってです。
その人にとっては結果が全てなので、過程は結果に直接つながらなければ全く意味を持ちません。

過程を本当に大切に生きていれば結果は自然とついてきます(これは頑張れば報われるといった美談的意味合いではありません)。
そしてその結果自体が単なる過程の中の一点となります。
結果は単なる過程の中の越えるべき小さな点、通過点となるのです。

結果に執着するあまり過程をおざなりにすれば、今生きている瞬間をおざなりにすることになります。
おざなりな過程ではその結果もはやりついてきません。

自分は絵描きは過程を生きたと思います。

もし結果を生きるのでしたら、正直絵描きをやめて他の道を生きることもできたと思います。
絵をやめなくても、せめて町で評判の悪い猫の絵の代わりに、商業的に売れる絵だけを描くこともできたと思います。
けれど、貧乏でも売れなくても最後まで大好きな猫の絵を描くことをあきらめませんでした。
自分が本当に好きなことを最後までやり続けました。

その人生はたとえ貧しくても、好きなことを最後まで貫き通した幸せな人生だったんじゃないかと思います。

ただ、自分の意見ですと絵描きの人生に少し矛盾が生じますね。
過程を大切にした絵描きに結果が自然とついてくるはずが、実際はついてきませんでした。
それは、自分達が想像している結果というのが、名声を得る、お金が入ってくる、といった外面的なもの、もしくは外部から得られる目に見えやすい結果だからかもしれません。

絵描きにとっては、大好きな絵を描けて暮らせている、しかも最高の友と、それ自体がもはや結果なのです。
絵描きにとって今という過程を生きていることそのものが結果だったのです。

待っていた恋人

正直これは自分も完全に考えが及んでいませんでした。
自分が男性だからか、もしくはただ抜けていたからか。

他の方の意見も大半が猫もしくは絵描きに関するものだったのですが、恋人がかわいそうという女性の意見もありました。
確かに女性もかなりかわいそうです。
ずっと故郷で待ってたあげく、届いたのが最後の手紙、その手紙を届けてくれた猫も目の前で死んでしまう。

正直この女性もかなり不憫です、というよりこの物語の中で一番不憫なのかもしれません。

絵描きはなぜ一緒に暮らしてあげなかったのか?
そして手紙を書いて知らせることが本当に彼女のためになったのか?

彼女は最後どのような思いで手紙を読んだのでしょうか?
手紙には実際どんな内容が書かれていたのでしょうか?
どういう思いで、猫にアルファベットを授け埋葬してやったのでしょうか?

正直、自分には想像できません。
ただ、黒猫を最後にHOLY KNIGHTにしたのは彼女でした。
彼女を含めてKなのです。




まとめ

Kはすごく良かったので、海外の友達にも何人か聞いてもらったら、かなり悲しい話だ、猫がかわいそうだと言っていました。
音楽は国境を越えて心をうつものなのだと改めて感じました。

Kは生きるということに問いかけていると思いました。
何のために生きるのか、どうやって生きるのか。

最後に“KはクロネコのKですか?”
といった質問もあったそうです。

自分は最初に友達から答え聞いてなかったら、間違いなく同じ質問、もしくは同じ種類の質問になってたと思います。
でもクロネコのKも好きです。