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さくらももこさん作コジコジの名言が深い!感銘を受けた名言と名シーンをピックアップしました!

2022年11月8日

 

2018年に亡くなられたさくらももこさんですが、その代表作であるちびまるこちゃんはサザエさんと同様国民的人気アニメでしたね。

自分にとってもちびまるこちゃんは子供の頃とても身近でした。
見ていたのが小学校の頃だったのですが、当時よくテレビの前で笑わせてもらいました。

ですが、放映終了後はほとんど見ることもなくなってしまいました。
数年後に再放映されたのですが、もう自分も中学生で自由な時間も子供の頃のようにたくさんはなくなっていたからです。

と言いつつ、高校で部活を退部し再び一気に時間ができ、その後発見したのがこちらコジコジ

シュールなアニメで当時相当笑わしてもらいました。

そのコジコジ、実際笑った記憶しかほとんどなかったのですが、今回再び読み直してみて(読みたくなって買いました)笑いだけでなく、真理をついた深い名言もたくさんあることに気付きました。

自分がその通りだなと共感した名言と名シーンをここではピックアップしていきたいと思います!

“名言までのあらすじも一緒に紹介しているので、ネタバレは困る、という人はコミックもしくはアニメを見てからまた再訪してもらえると何よりです!”



コジコジ名言・名シーンまとめ

コジコジ

コジコジと先生

遊んで食べて寝てちゃダメ?

コジコジはあまりに勉強をしないので職員室に呼び出されて先生に怒られていました。
先生に向上心がないことを指摘され、一体毎日なにをやっているのかたずねられます。

するとコジコジは、お菓子食べたり、山や海で遊んだり、寝たりしていると答えます。

いや、これ勇気あるわ~!!

自分も子供の頃呼び出されて怒られもしましたが、せめてもっとオブラートに包みましたよね f;^_^

先生はもちろんボルテージマックス!!

”遊んで食べて寝てるだけじゃないか!!”

と叫ぶわけです。

そしてコジコジが放ったのがこの一言

“遊んで食べて寝てちゃダメ?”

すごっ、これ絶対言えないわ!!
ビンタとんでくるわ!!
あっ、でも今はもうさすがにないですね。

でも、そうです、なんかそ~だよな~と自分は思ったのです。

遊んで食べて寝てちゃなんでダメなんだろう?

誰にも迷惑かけずに楽しく生きているなら全然いいと思います。
むしろこの楽しく生きる、これが一番人生で大切なんじゃない?と思ったんです。

日本ではとりわけ努力は美徳とされるので、きっと遊んで食べて寝てるだけの人は怠け者だ、もっと努力すべきだとなるんだと思います。
本人もそこで、なんか後ろめたいし生きづらい、だから無理矢理にでも努力して生きている状況を作り出す。

ですが、それはお互いにいちいち他人のこと・他人の目を意識して干渉しているからに過ぎません。
比較対象が自分ではなく、外部になっています。

誰かに迷惑をかけたりしないなら、なんと言われようが自分の道を自由に生きるべきなのです。

コジコジ、キミ、将来一体何になりたいんだ

コジコジだよ、コジコジは生まれた時からずーっと将来もコジコジはコジコジだよ

更に先生のボルテージは上がっていくわけですが、もはや上がり過ぎて最後はおれます。
せめて将来何になりたいかだけでも教えてくれとコジコジに懇願します。

そこでコジコジは“生まれた時からこれからもずっとコジコジ”と答えます。

いやほんとそ~ですね。

もはや先生さえ“真理だ!!”と心の中で叫んじゃってるわけです。

自分になればい~のです、そもそも生まれた時から自分なのですし。
コジコジは外ではなく常に内、自分自身を見続けているのです、今までもこれからも。

と、ここで終わらせず笑いに変えていくのがさくらももこさんのすごい部分だと改めて感じました。
ちびまる子ちゃん思い出させるオチです。

その様子をこっそり見ていたコジコジの友達こと次郎もこの一連のやり取りに感銘を受け、さっそく家に帰って母親にテストの点数の悪さで叱られています。
将来立派な人物になれなくてよいのかと叱られますが、コジコジの真似をして“これからも将来も次郎だ”と答えます。

その瞬間とんできたのが母のビンタ!!

“バカ言ってんじゃないよっ、ずっと次郎じゃ困るんだよっ!!”

はい、これが現実です、コジコジのようにはいきませんでした。

次郎の口の中は切れ、痛みとともに厳しい現実を十二分に味わったのでした。

コジコジと次郎

じゃあどういう顔でいえばいいの?

コジコジのクラスメートは様々で、中にはブヒブヒという悪魔やナゾの怪人であるスージー等もいたりします。
この2人を倒そうと、クラスメートのカメ吉君は必殺技を繰り出すわけです。

コジコジは“もう2人とも死んだかなぁ生きているかなぁ”と呟き、次郎がそんなことを平気な顔で言うなと咎めます。

コジコジがどんな顔で言うべきなのか聞くと、次郎は“もう少しこう悲しい顔するとか・・”と応えます。

周りに合わせてそうすべき論ですね。
周りがこうだから自分もこうしなくてはならない。
そうしないと不謹慎だから、周りから罵倒されるから。

ですが、コジコジが見ているのは外ではなく常に内です、自分の感情に素直に生きています。

次郎に体が死んでも魂は生きていることを告げます。

コジコジは心からそう思っていたので、物質的な肉体が消滅してもなんら悲しむには至らなかったわけです。

なぜってコジコジの中では今も変わらず生きているから。

コジコジとブヒブヒとスージー

今からみんなで逃げるんだってさ

最終的に生きていたブヒブヒとスージー、他の数人のクラスメートは騒動に巻き込まれたくないので今のうちに逃げてしまおうと話し合っています。
コジコジもちょうどその場にいて、そうか逃げるのかと、なんとブヒブヒとスージーに向かって一緒に逃げようと叫びます。

もちろんクラスメートは,

“えっ?”

です。

いやいやその呼んでる相手から逃げようとしているんだよ~!

コジコジには全く誰から逃げるか分かっていなかったのですが、みんなで逃げるから一緒に逃げようと2人を誘います。

そして、スージーになぜか恋をしてしまった天使の吾作が行かないでくれと突如追ってきます。

コジコジに早く逃げようとせかされ、もう謎の怪人も悪魔もクラスメートもみな訳も分からず学校の外まで吾作から逃げ惑う。

最終的に山の頂上まで力を合わせて登り切り、その達成感で皆涙を流すのでした。
ですが、一体なぜ山の頂で一緒になって涙を流しているのか、悪魔にも謎の怪人にもクラスメートにも誰一人分からないのでした。

コジコジすごいですね。
謎の怪人や悪魔を悪い奴らだからと排除するどころか、一緒に仲間にしてしまっています。
しまいには山を登る時に悪魔が疲れたクラスメートに手を貸してあげたりしています。

もはや友情が芽生えている・・。

これ、でも本当に大切なことだと思います。

ちょっと自分の体験談を話させていただくと、自分も子供の頃、小学校で時々ケンカしたりしてました。
で、同じように仲の良い友達同士がケンカをすると、2人とも仲の良い友達のためその2人がケンカをするのを見るのはあまり好きではなかったんですね。
そこで使ったのが、この戦法。

“ま~ま~2人ともどっちも弱いんだからそのぐらいでやめとけば”

すると2人は一致団結、自分はすぐさま全力ダッシュで廊下を駆け抜けたわけです。

何か問題が起こった時にはあえて逆をついたり、興味の対象をそらさせる。
子供の時だけでなく大人になっても使えるんじゃないでしょうか、なにせ大人も子供だから。

コジコジとカエル君

コジコジだってきっと何かの役に立っているはずだよ

何の?誰の?

クラスメートのカエル君は、他の友達はなにかしら役に立っているのに自分は何の役に立っているのだろうと友人の正月君に話します。
正月君が春から夏の田んぼにカエル君は欠かせない存在であることを告げると、コジコジも来て突如こう語ります。

“みんな役に立っているんだね、コジコジは役に立ったことないよ”

カエル君はうろたえます。

いや、これはうろたえますね、というよりリアクションに困ります。
コジコジに何かフォローの言葉を、と思っても本人自ら断言・宣言しちゃってるし。

ここで正月君は“コジコジだってきっと何かの役に立っているはずだよ”と告げると、コジコジは“何の?誰の?”と返します。

正月君もカエル君も完全に言葉を失い沈黙してしまう訳です。

そりゃ静まりかえります。

ついでに側を通りがかった次郎君にもコジコジは“自分は何の役に立っているのか?”と質問をし、追加で静まらせてしまいます。

もはやコジコジにとって生きる基準はそこではないのですね。
とういより、その基準は自分で決めている、きっと自然と出来上がっているのです。

ジョニーとカエル達

役に立つかどうかなんてあとから誰かが言う事だろ

オレたちゃ誰かの言うことより自分の事は自分で決めるのさ

ジョニーは自分が人間であること以外に自分については何も知りませんでした。
自分は何者なのか?一体何の役に立っているのか?、いつも疑問に思っていました。

そこでカエルに君たちは何の役にも立ってないけど、自分もなのだ、それについてどう思うかと質問します。

ジョニー、かなりストレートだな・・。
しかもカエルもそこ全く触れず、平然と返すのがすごい・・。

役に立つ立たない、そもそもその言葉自体が人間の観点です。
生まれるのも死ぬのも一緒、犬も猫も人間も動物はみなただ生まれてくる、そしてただ死んでいく、それだけです。

なんのために生まれるか?
なんのために生きるのか?

その問い自体が意味がないことかもしれません。

なぜならそこに意味はないからです。

あるとすれば、それは自分自身で決めることです。

カエル達が言っていたように、誰かに決められるものでもなく、自分自身で意味を見い出していくものなのです。

コジコジとゲタ屋の夫婦

するってえと江戸っ子のゲタ多屋のオイラ達は、神様かい?

神様は心の中をウロウロしているのでこの辺をウロウロしていません

ゲタ屋の家族がコジコジのメルヘンな世界に遊びに来た後のお話です。
物知りじいさんのフェイク情報によって、ゲタ屋の息子と娘は神だということにコジコジの世界ではなっていたのです。

最終的に神様が来たとゲタ屋の家族は大歓迎され、家族は自分の世界に帰った後、同じゲタ屋にゲタ屋はそこでは神様扱いされると話します。

面白そうだ、とそのゲタ屋の夫婦はコジコジの世界を早速訪れます。
そこで道端にコジコジを発見し、自分達が神様かどうか問いかけた訳です。

これはまさしくその通りですね。
丸夫君的にも、まさしく“ズバリ”な回答です。

これも、コジコジの本質がとてもよく表れている回答だと思いました。

何か答えを探す時、人は外に答えを求めがちです。
そして、人(外部)に問います、先述した自分は一体役に立つのか立たないかの話のように。

また、神様というと、これは正直日本古来の神道にも通じる本質的な部分だとも感じました。
キリスト教でしたらキリスト、仏教でしたら仏陀、と必ず外部に1つの崇拝の対象がいます。
ですが、神道は全てが神の対象になります、自分さえも。

そ~、本当に大切なことは、外ではなく内、実は既に自分の心の中に全てあるのです。
外を求めてうろうろする時間があったら、1度1人きりになって、自分に深く問いかけてみるとよいのです。

心の神様がきっと全て教えてくれるはずです。

コジコジに神様はこんなところをウロウロしていないと言われ、老夫婦は実に全くだとただただ放心するのでした。

コジコジと宇宙

あなたは宇宙の子だから

クラスメートのみんなが手紙を書いているのでコジコジも誰かに手紙を書いてみたくなります。

問題なのはこれといって書く相手がみつからないこと。
たまたま学校からの帰り道に楽しそうに笑っている親子を目にし、おとうさんとおかあさんに書くことを決めます、

と言っても家の住所も誰がおとうさんでだれがおかあさんかも分からない状況ではあったのですが。

コジコジは元気だよという内容のシンプルな手紙を書き、手に持って歩いていると手紙は風に飛ばされてしまいます。

すると、どこからか声が聞こえてきます。

“手紙ありがとう、いつもコジコジと一緒にいます、木の中にも草の中にも、風の中にも音の中にも、空の中にも、水の中にも、土の中にも、光と闇の中にも・・。”

“それは、あなたは宇宙の子だから”

コジコジは、“宇宙の子”だったのですね。

草も木も、水も風も、そして光も闇も全てが父であり母であったのです。

だからコジコジだったのですね!

コジコジとミミズ君

へー、じゃあコジコジは家もないし宝物もないから何もしなくていいんだね

嵐が来るというので街のみんなは大忙し。
家に帰って、窓や扉が壊れないよう大工仕事。

コジコジは道端で出会ったミミズ君に、貴重品も家が危なくなったら持って逃げられるようにまとめておいた方が良いと伝えられます。

そこで返したのが上記の一言です。

本当に物を持たないってそういうことなんだな。

手放すことで本当に大切なものが分かる気がします。

思ったんですが、コジコジのこと心配してるミミズ君こそ問われたら、“そ~言えばぼくも同じだったや”とか言いそ~な気が。

コジコジと台風の大王

ただああやってまんじゅう食ってるだけのあいつとどうやって戦うのじゃ

嵐の正体は台風の大王でした。

コジコジは嵐で家に避難するどころか、今こそチャンスだと大王のところに遊びに行くのでした。
大王は遊びにきたコジコジを吹き飛ばしてしまいますが、コジコジにとっては楽しい遊び。
戻ってきてもう1回やってと大王にせがみます。

大王が手下を使って追い払おうとしてもコジコジには楽しい遊び、遊んでいる途中でお腹が空いたコジコジは木の枝に座っておまんじゅうを食べ始めます。

大王は必至でコジコジと戦っているつもりが、コジコジは木の枝でおまんじゅうを食べながら一休憩。

悪魔のブヒブヒにコジコジをやっつけてくださいとせがまれ、

“ばか、あいつをやっつけられると思うか?ただああやってまんじゅう食ってるだけのあいつとどうやって戦うのじゃ”

と返します。

完全に戦意を削がれた大王は嵐を起こすこともなくそのまま帰っていったのです。

コジコジが大王と遊んだおかげで街に嵐は起きませんでした。

コジコジ流解決方ですね。
大王さえもコジコジの無邪気におまんじゅうを食べている姿にノックアウトされてしまったようです。

コジコジとタコの弟

おまえバカだろ、バーカ

そうだよ良く知っているね、きみは物知りだね

コジコジは海中で出会ったタコに手に負えない弟のことを相談されます。

早速紹介されたタコの弟がコジコジに対して言ったのが“バカ”というものでした。

するとコジコジは

“良く知っているね、物知りだね”

と返したのでした。

こ~ゆ~返しがあったか~、とはっとさせられました。

相手のことを否定しない、むしろきみはよく知っていると相手を褒めたたえています。

コジコジの帽子のことも変な帽子だと笑われますが、“そうなんだ変なんだ”と笑い返します。

タコはからかいがいがないからもう帰ろうかと呟くのですが、結局コジコジに惹かれてついていきます。

タコはコジコジにずっとついていくうちに心を改め、最終的にお礼を言って帰っていきます。

いつもコジコジは気がつけば相手と友達になってますね!

コジコジと枯れ木

どこにでもあふれてるよ、からの袋をあけたまま空飛んでたらとれたんだ

クリスマスを祝うコジコジとみんな。
サンタクロースに扮した天使の吾作は大きな袋からみんなにプレゼントを配ります。
コジコジには一番大きなプレゼントをあげると伝えるも、コジコジは中身の空っぽになったその袋が欲しいと答えます。

コジコジが袋を開けて夜空を飛ぶと、綺麗な光がたくさん袋の中に詰まりました。
それを枯れ木の上にふりまいたのです。
少し前にコジコジに出会った枯れ木は、自分達が単なる枯れ木でもみの木のように綺麗に飾ってもらうこともないのだと話していたのでした。

“どこから取ってきたの?”と枯れ木に聞かれ、

それはどこにでもあるものだと告げたのでした。

そう、きっとありふれていてどこにでもあるのに気づいていないだけかもしれません。

コジコジは自分がプレゼントをもらう時も、逆に与えることを、枯れ木達のことを思い浮かべていたのでした。

枯れ木達が輝き、町全体がそのクリスマスの夜は光に包まれました。

テル子の思い出

小鳥は空のことをただ好きで飛んでて、空が自分の事を好きかどうかなんて別に気にしてなくて

テルテル坊主のテル子が恋で迷った話です。
テル子は過去に出会った風の子供のことを忘れられなかったのでした。
もう会えないだろうし結婚もできないならつらいし忘れた方が良いと友達に言われます。

確かにずっと前に出会ったテルテル坊主のことをいつまでも覚えていることはないのかもしれません。
ですが、会えなくても相手が忘れてしまってもよいとテル子は語ります。

鳥が空を飛ぶ時に、空が自分のことを好きどうかなんて気にしないと言います。

テル子にとって一番大切だったのは、相手がどうこうというより自分が好きという気持ちだったのです。
自己満足で終わっても、それが自分にとって一番大切な気持ち、それを大切にしたい、そう語るのでした。

本当に鳥とか見てると思いますよね、あ~自由だなって。
空高く自由に飛んでいる鳥を見ると、時々飛ぶこと自体を本当に楽しんでいるように見えます。
そしてなに1つ持ち物もない、あるのは身体1つ、それさえあればどこへだっていけます。

本当に大切なのは、“どうあるか”、それだけの気がします。

コジコジとカメ大明神

一番好きなものは何じゃ

全部一番好き

大好きなお茶を断てと師匠であるカメ大明神に言われ、元気がなくなってしまったカメ吉君。
なんとかしたいがカメ大明神に頼みに行く度胸もない、そう語る次郎君の隣にいたのがコジコジ。
自分が行ってくるよ、とカメ大明神の家を訪れる。

カメ大明神はコジコジが好きなものを断つならカメ吉を許してやっても良いと告げます。
そこで一番好きなものを聞かれ、全部好きだと答えるコジコジ。

それではその全てを断て、と言われ、実際にコジコジが断ち始めると。

なんと、世界が消えはじめます。

コジコジは空も星もカメ大明神も全てがもうじき消えていくことを告げます。

コジコジは本当に世界の全てが好きだったのです。
全部一番好き、コジコジにとって全部が本当に一番だったのです。

最終的にカメ大明神は謝って消さないでくれとコジコジに頼むのでした。

優劣の観念を持たないコジコジは宇宙の子なのでした。

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まとめ

コジコジ

久々にコジコジ見たら爆笑してしまいました。

ですが同時に、あの頃ただテレビの前で爆笑しているだけでは気付けなかったメッセージにもたくさん気付くことができました。

さくらももこさんが亡くなられた時は、自分も何か大切な思い出の1つがなくなってしまったように感じました。

正直自分はただ普通にアニメが好きで見ていただけで、コミックやエッセイを読んだりと、大ファンだったわけではないので、自分のような人間がそう感じたりすること自体何か違うような気もしました。

ですが、コジコジを読んで、さくらももこさんに少し触れられたような気もします。
きっと死という概念を忌み嫌うマイナスのものとして受け取めていなかった気がします。

生も死も同質のもの。
本質は肉体ではなく、見えない部分、そういうことを知っていた・大切にしていた気がします。

という赤の他人である個人の勝手な解釈なのですが、コジコジを読んでいろいろすっとしました。

お腹を抱えて笑いたい時、人生に行き詰まった時、コジコジがお勧めです!

コミックの方は4巻で完結なので、さっと読めてしまいますし、アニメもかなり面白いです!
4巻ではまるちゃんも登場しますよ!

さくらももこ劇場 コジコジ
公式ウェブサイト:http://cojicoji.site/