宮崎駿監督の漫画「シュナの旅」を読んだ感想!

2019年9月1日

シュナの旅

シュナの旅、ご存知でしょうか?

宮崎駿監督の作品なのですが、映画化されていないので、他の作品程有名ではないかもしれません。

自分が初めて読んだのは恐らく大学生の頃か卒業後、ヴィレッジバンガードでなにか面白いものないかな~、と店内散策していたら発見したのです。
ちょっと立ち読みをして、とても良かったのでその後購入しました。

それから十数年、先日行った喫茶店、梟書茶坊のシークレットメニューで、どんな本が来るかな~と待っていると最終的に来たのがこちらのシュナの旅でした。

今というタイミングでまさかの本、びっくりしましたが。

以下あらすじと自分が読んだ感想をお伝えしたいと思います。

※ ネタバレありなんで、いやまだ内容は秘密にしておいてという方はスルーしちゃってください



あらすじ

はるか昔のことか、谷の底にひっそりと佇む小さな王国があった。
人々は貧しいながらもささやかな収穫に感謝しながら生きていた。
王国の王子であるシュナは思う、なんて悲しく貧しい人生だろう、なんて美しく厳しい自然だろう、と。

ある日、シュナは道に倒れていた旅人を発見する。
旅人はシュナに死んだ穀物の種を示し、生きた種を求めて旅をしていたのだと告げる。
かつてはこの男も小国の王子であったが、貧しい自分の国の民を救うため、この穀物の生きた種を求め旅に出たのだ。

種を携え、シュナは国を救うため旅に出る。
その長い旅路の果ての地で見たものは・・。

感想

シュナの行動の意外性

まず、自分にはシュナの行動や言動がけっこう意外でした。
意外、というのは宮崎駿監督のキャラクターとしては意外だったという点です。

貧しいながらも、そこで人々は収穫に感謝しながら生きていたんですね。
長老たちも、たとえ貧しくてもそれが天命なら、この地に抱かれて死ぬことも人の道、ということを言っています。
ですが、シュナは“なんて悲しく貧しい人生だろう”、とむしろ自分の国に対して良い印象を抱いていません。
最終的には父親や長老達の言葉を振り切って旅に出ています。

神道や日本の文化というのは、自然に逆らうことよりも、自然と共に生きることを選びます。
自然は人間がコントロールするものであるとする欧米の文化等とよく比較されます。
日本でよく使われる、“仕方ない”、という言葉もこの自然との関係性からきているのではないかと思っています。

主観ですが、自分には宮崎駿監督の作品はどれも、この自然の摂理を大切にしている傾向があり、少なくともどの主人公もその部分を同様に大切にしていると感じました。
貧しくても助け合いあがら、少ない恵みでもそれに感謝して生きる、こういった部分を大切にしている気がしました。

ですが、シュナの行動と思考は真逆であると感じました。

唯一共通しているのは、人を助けるために行動した部分です。
自分のためではなく自分の民を飢えさせないため旅に出ている部分です。
そのためにはリスクも厭わない、この部分は全ての作品に共通していると感じました。

シュナの行動は本当に正しいのか?

自分はシュナの行動は本当に正しいのだろうか?と思う部分がいくつかありました。

まず、奴隷を売る商人を襲撃した部分です
もちろんこうした商売をシュナが倫理的に許せないのは納得できます。
ですが、最初に商人から交渉を持ち掛けられ、それが成立しなかった時には、その場であきらめて帰っています。

つまり、シュナは力や強奪に頼らず、正式な方法(この世界での)で奴隷を買うことで奴隷を解放しようとしていたのです。
ですが、最終的にはその真逆の方法で、商人の家に侵入し首に剣を突き付けて脅しています。

その後には、人買いの車を襲撃し、人買いを皆殺しにしています。
恐らくシュナが人間を殺したのは、この場面が初めてだったと思います。
善悪はおいておいて、少なくともシュナは人を脅し、人間を殺めています。

それが奴隷の命、または自分の命が危機に瀕している状況だったら分かるのですが、この場合はむしろ自ら仕掛けにいっています。

奴隷の売買は決して許される行為ではない、ですがシュナの行動は本当に正しかったのでしょうか?
本当に他にやり方はなかったのでしょうか?

その次に、自分が気になった部分は、種を最終的に奪ってきた部分です
これも、やはり完全な略奪行為です。
本来人間が踏み入れてはいけないと言われる土地に足を踏み入れ、稲穂をもぎ取り逃げ帰っています。
実際稲穂をもぎ取った瞬間には、シュナの心に鋭い痛みが走っています。

最終的に全ての記憶もその後失っています。
これは、そのことに対する代償だったのかもしれません。

テアの強さ

シュナが商人の交渉に応じて心が揺れかけていた時、テアは武器を売って渡せばシュナもまた狩られてしまう、また、シュナにも買われたくないと言いました。

これは相当な心の強さがないとできない発言だと思いました。

少なくともテアは奴隷からの解放が約束されていたのに、それを自ら阻止したのです。
おまけにシュナにも買われたくない、と余計に自分に不利な発言までしています。

これ現実の世界だったら、自分を含めほとんどの人ができないんじゃないかと思います。
相当なプライドと心の強さがないとできない発言です。

もちろん漫画だからこそ、かもしれせんが、実際シチュエーションは違っても人生でこういう決断は大小を問わず起こっていると思います。
別に言わなくても、行動しなくても、誰も責めないし悪いことでもない、だけれど。
こういうシチュエーションはきっとどの人にもある気がします、ある種、こういう場面こそその人間の本当の真価が問われるのだと感じます。

とここまで書いておいて、自分ならまずシュナに何も言いませんね。
ですが、シュナもまた狩られてしまう、とテアが言っていたので、やはりそれだったら言う気もします。
ただ“あなたにも買われたくない”等余計なことは言わないと思いますが。
結局人の気は変わりやすいので、実際の場になってみないと分からないです。

テアはたとえ奴隷になっても心のプライドは決して捨てない、誰も本当の意味で支配することはできないとても強い人間だと感じました。

もののけ姫のジコ坊っぽい老人とのやり取り

あれっ?ジコ坊?って感じの老人がシュナの旅には出てきます。
むしろキャラ的にも役割的にもほぼジコ坊です。

この老人が種のありか、要はシュナが探し求めていた答えを教えてくれるのです。

自分がこのシュナと老人の会話で気に留めたのはほんのささいなやり取りです。
シュナは老人が種のありかを知っているようだったので、教えてください、と少しはやります。
ですが、老人は“その前にそのナンを1つ”、と告げます。

これは本当にその通りだと感じました。

何かを得たければ、まず自分が何かを差し出す、と言う点です。

人は、やはり人間なので仕方のない部分ではあるのですが、自分が自分が、と時になってしまいがちです。
相手のことよりも自分の利益ばかりを優先させてしまいがちです。
これは何も考えず無意識に生きていると、やってしまいがちです、というか大人もよくやっています。

身近で簡単な例が例えば英語を学びたい時等です。
英語を学ぶ時に英語の話し相手である外国人を探す人は多いです。
英語を話せるようになりたいから友達になってと外国の人にアプローチをします。

ですが、それより先に、私があなたに日本語を教えます・疑問点は何でも言ってください、代わりに良かったら英語を教えてくれませんか、とアプローチする人は少数です。

ここでは英語の例でしたが、他の日常のケースでも無意識に同じような形で、自分の都合を最優先させて行動してしまっている人は多いです、時に自分も含まれるわけで反省ですが。

簡単に言うと、人に与えられる側の“ギバー”か、むしろ人から常に得ようと勤しむ“テイカー”かの違いです。

この老人は、この当たり前のことをささいなやり取りの中でシュナに伝えていた気もします。

個人的には自分が何かを得られる得られないに関わらず、ギバーでありたいとも感じました。

神人の存在

最終的に種を持っていたのが“神人”でした。

人が人間を神人に売る代わりに、神人は種を人間に与えていたのです。
人買いが買った奴隷も神人に売られていたのです。

かつて人は自分で種を育て作物を育てていたけれど、今その種を持つのは神人のみ。
人が持つのは神人から与えらた死んだ種のみ、となっていたのです。

これは、いろいろな暗喩を含んでいると感じます。

本来の生き方を失ってしまった人間、その人間が同じ人間を代償として売るという皮肉。

現代の様々な出来事に置き換えられるかもしれません。
種という部分に焦点を絞れば、失われていく在来種(その地域に古くから存在する種)、生活で言えば、自分で修繕したり作ることより大量消費となった社会、面と向かった会話よりSNSでやり取りするようになった人のコミュニケーション。

何かを得る代わりに何かを失います。

その得たなにかは死んだ種なのか、それとも。

シュナの強さ

シュナは左脳より右脳で行動していく、感情派のような気がします。
正直自分にはその行動が正しいのか間違っているのか、はっきり言えない部分もあります。

ですが、行動していきます。
命がけのリスクを背負ってでも行動をしていきます。

これはとてもすごいことだと思いました。
正直自分は命のリスクを負ってまで行動できません。

ですが、シュナにとっては自分の命よりもなすべき何かが圧倒的に勝るのです。

ヒコ坊に似た老人にも言われました、
王子として何不自由のない暮らしが待っているのだから帰りたければ帰ればよい、と。

それでもシュナは進むことを選びました。

また、旅の終盤では、自分がとても平和な世界にいることに気付きます。
豊かな自然に囲まれ食べ物も豊富、おびやかすものもおびやかされるものもいない世界。
きっとシュナが求めていた世界です。

ここから出ずに暮らせば、一生幸せに生きることができます。
争うことも傷つけることも傷つくこともありません。

ですが、はやりシュナはそこを出て旅立っています。
それも、全て成し遂げたいことのためです。

人生では様々なリスクがあり、逆に出ないことによる安定もあります。
どちらが正解ということはありません、ただシュナは成し遂げたいなにかのために、命を懸けてでも進み続けました。
物事を成し遂げる人というのは、そのぐらいの想いを持って動いていく人なのかもしれません。

シュナは最後に成し遂げたのでしょうか。

犬になった王子が原案

あとがきに記載されていたのですが、シュナの旅は「犬になった王子」というチベット民謡が原案なのだそうです。

この犬になった王子の中では、王子は麦の粒を盗んだ後、シュナのように記憶を失くす代わりに犬の姿に変えられてしまいます。

ここでようやく、シュナの行いがこれまでの宮崎駿監督のメインキャラクターにはないものだったという謎が解けました。
シュナの旅にはあくまで原案があり、それにできる限り近い形で恐らくストーリーを展開させていたからではないでしょうか。
風の谷のナウシカやもののけ姫のように完全にオリジナルの作品ではなかったのです。

シュナの旅も犬になった王子もその後の最後の結末もやはり似通っています。

シュナの旅では、持ち帰った種は具体的になんの穀物なのかは記されてはいませんでしたが、犬になった王子では“麦”と明確に記されているのだそうです。
チベットは実際に大麦が主食の国でもあり、この犬になった王子はチベットの実際の歴史を汲んで生まれた物語なのですね。

犬になった王子は岩波書店から絵本として出版されてるようです。
こちらも気になる作品ですね。




まとめ

シュナの旅は、人生の節目節目の絶妙なタイミングで読むことになるなと感じました。
しかも自分で読もうと思って、というよりたまたまひょっこり遭遇するみたいな感じで。

大学生の頃~卒業直後は働くということについて考えたりいろいろ直面していく時期。
その時は、なんのために・どうやって生きるのかということについて考えた気がします。

今はシュナのリスクをかけてでも目標のために生きるという生き様が心に響きます。
自分も会社を辞めて、個人でやりながらも、もはや未来はリスクと不安満載、あと何年、いや来年でさえだいじょうぶ?と我ながら思ってしまいます。
ですが、やっぱりそれでも進んでいこうと思っています、どこまでいけるかは分からないけれど。

シュナの旅は漫画なので、さらっと1~2時間程で読める作品です。
下記アマゾンや楽天でも買えますが、試し読みしたいって人は、恐らく今もヴィレッジバンガードに置いてあると思うので、そこで試し読みとかもできるかもです、店舗によるかもですが。

風の谷のナウシカやもののけ姫が好きっていう人にはお勧めしたい作品です。