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東京喰種:reの名言・名シーンまとめ!個人的に心に留まった言葉を集めました!

2022年10月28日

東京喰種:re

東京喰種:reを読み終えて、それは戦いというより、真理・心理の世界だと感じました。

どちらが悪でどちらが正義、どちらが間違っていてどちらが正しい、というその先の世界だと感じました。

ここでは自分自身が心に留めた、共感した各登場人物の言葉をご紹介したいと思います。

※ ネタバレ含みますので、いや内容は今は秘密に、という方は、また読み終えてから、または見終えてから再訪してもらえると何よりです



佐々木琲世 (ササキハイセ)

手足を捥がれても、逃げろ

引用元↓

東京喰種:re 1巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

危険な喰種相手に無茶な勝負を挑んだ瓜江に対して佐々木が叫んだ言葉です。

“手足を捥がれても戦え”、亜門がかつて上官の真戸からと示された言葉とは真逆ですね。

決して逃げるな、絶対に逃げろ、どちらも正しいと思います。

弱さを言い訳に決して逃げてはいけない時があります。
そこに1%でもチャンスがあるなら、最後まで諦めてはいけない時もあります。

逆に、即退いた方が方が良い状況もあります。
退くのは格好悪いイメージがあるかもしれませんが、自己満足のプライドを盾に向かう方が実際は格好悪いこともあります。

退くという決断ができることも勇気です。
“退くも勇気”、かつてもののけ姫でアシタカがサンに叫んだ言葉です。

ハイセが言っていたように、たとえ今回ダメでも、生きてさえいればチャンスはあるのです。

なんで喰種に肩入れしてるんだろう?いや、たぶんそんなこと関係なくて、なんであんな子がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ?

引用元↓

東京喰種:re 4巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

喰種であるひなみに対してハイセが抱いた感情ですね。

ひなみは喰種ですが見た目は普通の人間の女の子です。
ただ、生きるためには人の肉を食べる必要があった、かと言って人をむやみに襲って食べたりすることもなく、あくまで提供された肉を食べて生きていました。

ですが、喰種であることに変わりはなく、いずれ処分されてしまう運命です。

ハイセは、喰種捜査官、つまり、喰種を捕らえる側の立場なのですが、これは本当に正しいのか?と思うようになります。

なぜ自分が喰種に肩入れを?

ですが、喰種とか喰種じゃないとか関係なく、なぜそもそもこの子がこんな目に遭わなくてはならなかったのだろう?そう感じるようになります。

どちらが正しくてどちらが悪くて、ということより、なぜそもそもこんなことになるんだ?
根源の話ですね。

ここが結局、東京喰種、のテーマでもあると感じます。

金木研 (カネキケン)

この世の不利益はすべて当人の能力不足、・・・呪うなら自分の弱さを呪いなよ

引用元↓

東京喰種:re 6巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

瓜江は、不知が死んだ時にあなたに会いたがっていた、とハイセ(カネキ)に伝えました。

ハイセがもっと早く戻っていれば不知も死なずにすんだ、という皮肉を込めて。

その時ハイセ(カネキ)が返したのが上記の言葉です。

これは不知が死んだことで他人を非難する前に、すぐ側にいた自分(瓜江)の力が足りずに守れなかった己の責任を問え、ということです。

“この世の不利益はすべて当人の能力不足”

これはかつてヤモリが回想の中で呟いた言葉です。

冷たい言葉に聞こえるかもしれませんが、人を非難する前に自分がどうだったのかをまず己に問え、その通りだと思います。

人間は都合の悪いことがあると、状況になると、無意識的にも自分を責める代わりに責任を他に転嫁しがちです。
そうすれば自分が責任を負うことなく逃げれる、楽になれるからです。

ですが、その前に本当に自分にもできることは何もなかったのか?
と考えると、大抵のケースではできることがあったりします。

ですが、瓜江は最後に“オマエは間違ってると言ってやりたい”とも語っています。
この世には、自分の力だけではどうしようもない出来事もたくさんあるからです。

これも正しいです。

この世の不利益はすべて当人の能力不足であることもあれば、そうでないこともあるのです。

人と人で成り立つ社会、お互いが支え合って作られる社会でもあるのです。

この世は弱肉強食の一面もあれば、お互いが支え合って作られる世界でも同時にあるのです。

彼は・・・喰種ではなく、一人の存在として”対話”を求めてくれた

引用元↓

東京喰種:re 11巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

亜門は喰種捜査官として、唯一カネキに対話を求めた人間です。

喰種捜査官にとって喰種は危険な存在、排除の対象としか捉えておらず、その感情には一切興味がありませんでした。

ですが、亜門は喰種化したカネキにかつて対話を求めました。

相手がどこに属して、どうだから、という前に、まず1人の存在としてカネキを認めていたのです。

現実の世界でも、肩書きやレッテルで、年齢や性別、属性でその人を判断してしまうことがあります。
ですが、なによりも前に、そこにいるのは同じ1人の人間なのです。

今は喰種化し正気を失っている亜門を前に、“彼から対話を奪うなんて”とカネキは憤怒します。

僕は自分が心の優しい人間だと信じ込んでいたんですが、どうも違ったみたいです。

引用元↓

東京喰種:re 11巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

カネキが亜門と対話している時、なぜそこまで喰種のために戦えるのか?と問われます。

亜門は自分が喰種化しても、だからといって喰種を守ろうという気にならず、カネキがそこまで必死に動く理由を問いたのでした。

その時にカネキが返した言葉です。

社会から孤立し偏ったものしか摂取できない喰種が自分に重なったから。

自分が優しいと思っていたのは違って、それより、ただ身近な人のために戦いたい、それが喰種に多かっただけ、と語ります。

十分優しいと感じました、

その後、“だからこうして戦ってみてます”と語ります。

あえて“戦ってます”と断言しないところもカネキらしいと感じました。

そうすることで、自分自身も答えを探しているんです、ということな気がします。

・・・ぼくは・・・誰かに必要とされたかった

引用元↓

東京喰種:re 15巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

リゼと対話する中でいきついた言葉です。

なんのために戦うのか、カネキは人間と喰種が分かり合える世界を作るため、と常に行動し続けていました。

ですが、カネキが動くことで最終的にはたくさんの人間・喰種も死んでいったのも事実でした。
その上で、なぜ戦うの?と問い詰められ、最終的に呟いた言葉が、“必要とされたかった”です。

人が生きる意義、という部分なのですが、自分は“何かの役に立つため”という部分が本当に大きいと思います。

15年程前の話ですが、「1リットルの涙」という映画を見た時に強くそれを感じました。

木藤亜也さんは、体の運動機能を全て喪失してしまう脊髄小脳変性症という難病にかかり、最終的に歩くこと、立つこと、会話を、全てを失っていきます。

当初抱いていた些細な夢や存在意義すらも経過と共に失ってしまうのです。

そんな状態でも「人の役に立ちたい」と最後まで話していたのを覚えています。

人が一番つらいのは、お金がないこと、貧しいことでもなく、自分に価値がないと自分自身が感じてしまうこと、なにか・誰かの役に立てる、という自分の存在意義を奪われることなのだ、と当時自分は強く感じたのを覚えています。

木藤亜也さんは、“動くことも人の役に立つことも叶わなくなってしまったけれど、それでも生きたい”、と最後に語っていました。

カネキの語った、“必要とされたかった”、という言葉は、本当にその通りだと自分は感じました。
人が一番つらいのは、自分の存在意義を自らが失ってしまう時なのだと感じました。

いつも君がみたくないものを隠してくれていた

引用元↓

東京喰種:re 15巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

ヒデは最後までカネキのために裏で行動しています。

自分自身の命を犠牲にしてでもカネキを助けようとします。

ヒデに再び会えた時、カネキはマスクを外してくれ、と頼みます。
マスクを外したヒデの顔は、喰われていました。

カネキを生かすため、ヒデが自らを捧げた結果負った痕でした。

カネキは、ヒデがいつも自分が見たくないものを隠してくれていた、そして自分を守ってくれていた、と語ります。

その上で全てを背負って生きていくことを決めます。

“なにもできないのはもういやなんだ”
と語ります。

この世界は間違ってない、ただそこにあるだけだ、

引用元↓

東京喰種:re 16巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

カネキが旧多に語ったのが、たくさん過ちを犯し、傷つけてきたけれど、それが全て無駄だったとは思えない、ということでした。

“この世界は、ただそこにあるだけ”
と伝えます。

結局は善悪も良い悪いも全て人間が人間の観点で決めているだけ、ということですね。

世界は、ただそこに存在して、そこに名前や意味を付けたり、争ったり、人間が好きに勝手にやっているだけ。

最後には善も悪も全てが平等に消えてなくなります。
全てが無になります、

全てが無駄になるとしても、あがきつづけます、とカネキは最後に語ります。

奪う奪われる、囚える囚えられる、従う従わせる、するされる、肯定と否定を繰り返し、僕たちは失わないように戦ってばかりいる

引用元↓

東京喰種:re 16巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

最終シーンでリゼと対面する直前、カネキは頭の中で語ります。

勝って負けて、してされて、失わないために誰もが毎日戦っている、そう呟きます。

全てが最後に消えてなくなると分かっていても、求め続ける。

考え、選び・選ばれ続ける、それだけだ。
と語ります。

本当にそれ以外の何でもないと感じます。

考え・選ぶ、というのは、ある意味それこそが人間としての価値でもあると感じます。

ただ、最後に選ばれ続ける、となっているのもその通りだとも思いました。
自分が中心のようで同時に全くそうではない、ということですね。

亜門鋼太郎 (あもんこうたろう)

この世界は歪んでいる・・・なにが正しいか、なにが間違っているか、簡単にわからなくなる、だから考え続けるんだ・・お前の選択が間違っていないか、その行為だけは正しいと言える事の筈だ。

引用元↓

東京喰種:re 9巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

喰種捜査官だった才子を助けたのはなぜ?と聞かれ、喰種化した亜門は考え続けるのだ、と答えます。

何が正しい何が間違っているかを断言することは、実際難しいことです。
人によって正しいことも人によっては正しくない行為となり、その逆も然りです。

何が正しくてなにが正しくないかも分からなくなる世界、だからこそ最後まで考え続けることの重要性を亜門は語っています。

その考え抜いた先の結論がたとえ正しくても正しくなかったとしても、少なくとも自分が考え抜いたその行為自体は自分自身が胸を張って正しいと言えるように。

しっかりその虚無を感じろ、虚無も感情の一つならたしかに在るものだ

引用元↓

東京喰種:re 11巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

アキラは父を喰種に殺害され、その憎しみを糧に喰種捜査官としての任務を着々とこなしていました。

ですが、立場は違えど同じように人間によって両親を失った喰種と話すことで、その憎しみも失います。

今までその憎しみがあったからこそ、前に進めたのが、もうその憎しみすら持てなくなってしまったと亜門に語ります。
今まで喰種捜査官として費やしてきた時間は一体何だったのか、残ったのは虚無だ、と語ります。

亜門は、だったらその虚無感じろ、虚無も感情の1つなら存在するものだ、と告げます。

虚無も確かに存在する感情なのかもしれません。
それをしっかりと受け止め、考える時間も大切なのかもしれません。

答えを急ぐより、ただその感情を受けとめること自体を大切にすることが、一番大事な時が人生にはあります。

俺たちがそうせざるを得なかった・・・この世界に対してだ

引用元↓

東京喰種:re 11巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

亜門がトーカに語った言葉です。

上司である真戸呉緒を失い、その宿敵であるトーカを前に亜門は語ります。

失った痛み・怒り・消えない炎はあるが、それはトーカに対してでなく、そうせざるを得なかった世界に対してだ、と。

亜門もこの頃は自分自身が強制的に喰種の身となり、そこで初めて相手の状況を理解します。
その上で、恨んでいるのは喰種ではなく、この世界に対してだ、と語ります。

人間も喰種も、お互いがそうせざるを得なかった世界だったのです。

ですが、同時にカネキが最後に言っていたように、“世界はただそこにあるだけ”、でもあるのです。

この世界は間違ってる、歪めていたのは俺もだ

引用元↓

東京喰種:re 16巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

父親であるドナート・ポルポラを亜門はずっと憎んできました。

ドナートは表の神父の顔とは別に、裏では喰種として、孤児の子供を捕食していたのです。
なぜか亜門だけは捕食されずに済んでいますが、正確な理由は最後まで語られていません。

亜門はドナートと戦う中、この世界を歪めていたのは喰種だけでなく、自分もだ、と語ります。

同時に、心から憎んでいたはずの父親を本当は愛していたことも悟ります。

父親への憎しみを原動に喰種捜査官となった亜門でしたが、最後の最後に心の底では愛していたことに気付きます。

善悪であえて判断するなら、ドナートは悪そのもの、という位置づけになります。
神父という立場を利用し、実際は真逆の行為を行っていたのですから。

正義感の強い亜門には絶対に受け入れられないことです。

ですが、“愛”という感情は、善悪を超えた部分にあります。
理屈ではないのです。

亜門は最後、お前は最低の男だった、と語ります。
“それでも息子が父親を愛してなにが悪い”と告げます。

“父親か、傑作だ”と事切れるまで笑い続けたドナートの目からは涙が流れていました。

西野貴未 (にしのきみ) (大環アクトの理念)

わたしたちは偶然人に生まれた、迫害する側・される側

引用元↓

東京喰種:re 10巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

西野貴未は喰種である西尾の恋人でした。

だからこそ、喰種に属する西尾錦を助けたい一心から大環アクトを組織します。

実際に半喰種化施術を行う嘉納の助手にもなっています。
嘉納の施術のために、強制的に亜門・滝沢は喰種となりました。

西野は嘉納の行いには賛同しませんでしたが、嘉納以外に喰種の身体に詳しい人間はいないと助手になります。

その西野貴未が組織した大環アクトの理念の中で語られているのが、“偶然人に生まれた”、という部分です。

たまたまこっち側とあっち側で生まれた、迫害する側・される側に生まれてしまった、それだけのこと、ということです。

だとしたら、全て平等だった、ということになります。

個人的にですが、現実の世界でも通じる部分な気がします。
海外での銃の乱射事件等、日本でも銃こそ使わないものの、同様の事件が起こっています。

なにが人をそうさせるのでしょうか?
育った環境、それだけなのでしょうか?

現在犯罪を起こす遺伝子の研究が海外では行われています。
ここは倫理の点からも断定はできない部分ですが、この“偶然人に生まれた”には、もしかすると様々な暗喩が含まれているのかもしれません。

霧嶋絢都 (きりしまあやと)

切り捨てていくのもお前の仕事だろ~が

引用元↓

東京喰種:re 11巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

喰種化した亜門を前にした時のことです。

亜門は喰種捜査官の中でも、唯一対話をカネキに対して求めた人間でした。

その亜門が今は喰種となり、対話することさえ奪われてしまいました。

カネキの本来の目的はアキラを治療するための抑制剤を取りに来ただけで、亜門を今相手にすることではありませんでした。
他にも戻ってカネキにしかできないもっと大切なことがいくつもありました。

ですが、亜門を助けたい、放っておくことはできないという強い感情がカネキをその場に留めます。

その時、あやとが叫んだのが、“切り捨てていくのもお前の仕事だ”、という言葉です。

たとえそれが大事なものであったとしても、選ばなくてはならない時があることを伝えます。

これはかつてリゼがカネキに語っていた言葉でもありますね。

カネキの母親は結局選べなかったために両方とも失ってしまった。
それは、捨てる覚悟を持てなかった母親の弱さであると語っていました。

笛口雛実 (ふえぐちひなみ)

不幸でいるのは本当はとても簡単で、幸せになるほうがずっとずっと難しい

引用元↓

東京喰種:re 13巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

トーカを逃がすため、ひなみが心の中で送った言葉です。

“幸せになって”、という言葉は簡単には言えないと呟きます。

不幸でいるのは本当はとても簡単、その通りかもしれません。

不幸でいる、ということは、そこに身をゆだねることができるからです。
全ての責任を不幸であることに押し付け、そこに身をゆだねれば、楽、です。

動かないのですから楽です。

ですが、そこから幸せになる、というのは、強い意思を持って自らが動いていかなければいけません。
その過程でいくつものつらい出来事と対峙することになるかもしれません。

それを乗り越えた先にあるのが、“幸せ”、です。

“幸せになるほうがずっとずっと難しい”
“だから「生きて」”

そう呟きます。

四方蓮示 (よもれんじ)

だれかを責めて楽になろうとしていたのは俺の方だ、俺は無力だ

引用元↓

東京喰種:re 7巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

霧島から四方の姉を守れなかったことを告げられ、“自分を責めて楽になろうとするな”と四方は怒りをそのまま霧島へぶつけます。

頭では霧島に責任があるわけではないことを分かっていても、その怒りの矛先が見つからなかったのです。
誰かを責めることで、本当に楽になろうとしていたのは自分自身だったのです。

言葉はその人自身を写す鏡だと自分も日常で感じます。

何かを誰かを非難する時、それはそのまま自分自身の至らなさ・弱さを反映しているケースが多いです。

そこに自分自身で気付き、受け入れられる人間が、本当の意味で強くなれるのだと感じます。

失っていくしかないこの世界で、唯一の希望は”つながること”

引用元↓

東京喰種:re 7巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

姉を失い、その次にはその子供であるトーカとあやとまで有馬の出現で奪われそうになります。

姉さんと、オレの希望も奪うのか。

自分自身で、“希望”、という言葉を使い、そこで気付きます。

失ってばかりの世界で唯一の希望は“つながること”、花がまた種子を落とすということ。

それは四方にとって姉の子であるトーカとあやとでした。

ウタが戦いの中で“なくなってばかりだこの世界は”と呟いた時も、失うことばかりではないことをあいつら(トーカとあやとの存在)に教えられた、と伝えています。

何かを失っても、何かがまた生まれます。
そ~やって繋がっていくこと、それこそが“希望である”と四方は悟ります。

平子丈 (ひらこたけ)

「分かり合う」とは”すべてを共有する”という意味ではない

引用元↓

東京喰種:re 10巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

四方は、喰種と人間が分かり合える世界に対して葛藤がある、と平子に話します。

自分の姉の仇である有馬が実際は喰種の味方だった、と今さら言われても、やはり憎しみは消えないと語ります。

人間である平子は、有馬の元で戦い、有馬が信じたものを信じる、そしてカネキの元で戦ってきた四方(喰種)は、金木研を信じる、それでいいのではないか、と答えます。

「分かり合う」とは”すべてを共有する”という意味ではない、と思う、と伝えます。

分かり合う、というのは理想としてあっても、それぞれの意見・感情・価値観がある中、本当の意味でお互いが心から分かり合うというのは実際とても難しいことです。

無理に全てを共有・理解し合おうとするから現実でも歪みが生じるのかもしれません。

それより、お互いそれぞれが信じることに向けて力を合わせる。
それが平子にとっては有馬の目指したもの、四方にとってはカネキの目指すもの、だと伝えます。

四方は“それならできそうだ”と答えます。

観母 (みるも)

技術ももちろんだが、もっとも重要なのは剣と盾の先、その「想い」、「想い」こそが君を強くするのだよ。

引用元↓

東京喰種:re 5巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

観母が松前に伝えた言葉です。

松前が特訓に敗北した理由を聞かれ、自分の盾では観母の剣は防げない、と答えます。

観母は、技術ももちろんだが、もっとも重要なのは剣と盾の先、「想い」である、と伝えます。

技術は実際とても大切ですが、それはあくまで表面のことであって本質の部分ではありません。
核となるのは、内面にある“想い”です。

人の持つ想いは、それが最後まで生きる強い支えになることもあれば、弱ければ、いくら表面が整っていても途中で簡単に折れてしまうこともあります。

その想いこそが人を強くしていくことを観母は松前に伝えます。

イトリ

ピエロは絶望する事に飽いた”喰種”たち、狂わないように舞台の上でおどけ続ける

引用元↓

東京喰種:re 16巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

四方とウタが戦っている姿を見てイトリが呟いた言葉です。

イトリは喰種の中でもピエロという集団に属していましたが、ピエロは喰種と人間の戦いを傍観していることもあり、目的が謎に包まれていました。

イトリが言っていたように、絶望することにさえ飽いてしまったのかもしれません。

だから狂わないようにおどけ続ける。
傷ついたり傷つけられたり、血を流していないと温もりを感じられない。

そうイトリは語っています。

帆糸ロマ

この世はサーカス、すべてはたのしい無意味

引用元↓

東京喰種:re 13巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

帆糸ロマもイトリと同様ピエロの一員です。

生き死にすらも平凡になってしまったロマが作ったのがそもそもピエロでした。

自己の利益・欲望のために“ごっこ遊び”をする人間を、醜く・哀れと思うと同時に、なんと楽しげなのだろう、これは神から与えられたパンとサーカスだ、とピエロを作ったのです。

ロマにとっては生死より、正義・不正義より、刺激が重要。
退屈こそが喰種と人間の共通の敵で、しっかり治療しないと「生きるとは?」といった病が始まる、だから刺激を求めるのです。

喰種が・人間が、よりも刺激を楽しむことがロマにとっては全て。
それも全て無意味なことと知りながら、舞台の上でおどけ続けるのです。

鈴屋什造 (すずやじゅうぞう)

大事なことには順番があるんです

引用元↓

東京喰種:re 10巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

鈴屋什造にとってカネキは元喰種捜査官の佐々木琲世であり、同じ人間側で戦う仲間でもありました。

中でも鈴屋は強い信頼を佐々木に寄せているようでした。
CGC内で、唯一自分のことを嫌な目で見なかったのも佐々木だったと語っています。

そのカネキ(佐々木琲世)を相手にできるのか、と宇井に聞かれた時、大事なことには順番がある、と答えます。

これも、何を選び何を捨てるのか、に共通します。

どれも大切だからと全てを優先させるとその全てが中途半端になるか、1つどころか全部を失ってしまうことがあります。

何が本当に自分にとって大切なのか、それを選択し、同時に捨てる勇気を持つこと、鈴屋は最初から決めていることを伝えます。

有馬貴将 (ありまきしょう)

だれよりも死を欲っしていたのは、死神自身だったんだ

引用元↓

東京喰種:re 8巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

有馬貴将は喰種捜査官(CGC)の中でトップとされ、実際に喰種でも敵うものはいませんでした。

目の前に現れた喰種のほとんどは駆逐されています。

ですが、最後にカネキと対決した際、負けを悟り、カネキも自分の命を奪う意思がないことを知り、自害します。

なにを考えているかも全てが謎とされていた有馬ですが、最後に奪うばかりの人生が嫌だったとカネキに告げます。
奪いつつ、本当はだれより死を望んでいたのは自分自身だったと伝えます。

有馬はずっと自分を超える存在を待っていたのです。
ようやくカネキが現れ、死を通して自分の願いを叶えることができたのです。

旧多二福 (ふるたにむら)

「普通に生きたかった」なんて言ったら嗤いますよねえ。

引用元↓

東京喰種:re 16巻 (発行社:集英社、著者:石田スイ)

最終的に人間と喰種、全てを裏で操っていたのが旧多でした。

旧多が望んでいたのは“破壊”でした。
全てをいったん破壊する事。

そのために、数えきれない程の人間と喰種が犠牲となりました。

旧多は最終的に破壊することでなにを成し遂げたかったのでしょう。

人間と喰種が協力せざるを得ない敵・状況を作り出し、お互いが共存する世界を作りたかったのかと言えば、そういうわけでもありません。

全ては無駄、と語り、そう思わないかとカネキに問いかけます。

カネキは、あれだけ間違え傷つけてきたけれど無駄だったとは思えない、全て自分には必要だった、この世界はただそこにあるだけ、と答えます。

それを聞いて、“「普通に生きたかった」なんて言ったら嗤いますよねえ”と笑って応えます。
旧多が初めて見せる、皮肉もジョークもない素の笑顔でした。

旧多が回想の中で見たのは、なかったリゼと自分の子供の姿、最後に想い描いていたのが、なかったリゼとの暮らしでした。

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まとめ

東京喰種:re (まとめ用画像)

東京喰種は人間も喰種も、1人1人のキャラに善や悪だけでは割り切れないストーリーがありました。

元凶だった旧多さえも、最期どこか同情してしまうのは自分だけではない気がします。

ただ、世界はただそこにある、これが全てだと自分も感じます。

人間も動物も地球も、ただそこにあるだけです。
そこに白黒・善悪・意味を人間がつけていくだけです。

無駄か無駄じゃないかも、全てその人次第ということです。

東京喰種:reは賛否両論ある漫画でしたが、自分は素直に良かったです。
この:reで東京喰種は完結だと思いますが、実写の映画は今月から始まる東京喰種Sと、今後も続編が続きそうです。

東京喰種

公式サイト(ヤングジャンプ):https://youngjump.jp/tokyoghoul/
公式サイト(アニメ):https://www.marv.jp/special/tokyoghoul/first/
各名言引用元:東京喰種:re (発行社:集英社、著者:石田スイ)