サイコパス最終回を見た感想!槙島が呟いた“そうか・・君は・・・”の意味は?

2019年11月3日

待望の「サイコパス3」が先日始まりました。

現実の世界では銃の乱射、日本でも車内や路上で突然刃物で切りつけられる事件等、防ぎようもない、そして今後も確実に発生し続ける無差別テロ行為が起こっています。

サイコパスのコアのテーマはまさしくこの部分です。

そこにドローンやバーチャルリアリティー・AI・食糧問題等、近未来の世界が描かれています。

自分はサイコパスを見た時、学生時代に読んだロイス・ローリー「ギバー」をふと思い出しました。
全てが予測され、危険が排除され平和が保たれているコミュニティーがそこにはありました。

誰もが安全と幸せを享受することのできるシステム、このサイコパスでいう“シビュラシステム”のことです。

最終回ではそこに抗う犯罪者の槙島、システムを捨て自らの意思で槙島を追うことを決意した狡噛の対決が描かれています。

ここでは改めてサイコパスの最終話を見直した個人的感想を記したいと思います。



法が人を守るのではなく人が法を守る、ということ

最終シーンでは、狡噛慎也と常守朱はどちらも公安局の人間でありながら真逆の道を選択しています。

狡噛は銃をもって槙島を裁こうとし、常守はあくまで法の下に槙島を生きたまま裁こうとします。

法を破る者と法を固守する者に分かれます。

狡噛は呟きます。

“悪人を裁けず人を守ることができない法律を、なんでそうまでして守り通そうするんだ”

それに対して常守はこう答えます

“法が人を守るんじゃない、人が法を守るんです”

常守は、正しい生き方を求めてきた人々の想いが法なのだと返します。

それは条文でもシステムでもない、誰もが心の中に抱えているもろくてかけがえのない想い、よりよい世界を作ろうとした過去全ての人達の祈りそのものである、と。

だからこそ自分達があきらめてしまってはダメ、人々の祈りを無意味にさせないために最後まで守り通さなくてはいけない、と応えます。

常守には本来であれば誰よりも法を破る言い分があったはずです。

槙島に目の前で仲の良かった友人を殺害されています。
2期の話になりますが、自分を大切に育ててくれた肉親さえも犯罪者によって殺害されています。

圧倒的な精神的苦痛の中にいました。
通常の人間でしたら、理性よりも感情を優先され、仮に一切の罪が許されるとしたら、銃を手に取るのが自然な流れです。

自分の本当に大切な人の命が無残な仕打ちで奪われ、その犯人が今目の前に存在し、罪が許されるとしたら。

ですが、常守が選んだのは“法”でした。

自分の個人的感情を優先させませんでした。

なぜなら、それを選ぶ、ということは、人間に対するあきらめを意味したから、だと思います。
それこそがシビュラシステムに迎合することを意味したのだと思います。

人間を最後まで信じたい、今までの人々が信じ続けてきたかけがえのない想いを守り抜きたい、それが常守が法を固守する理由だったのです。

狡噛は最後に、“誰もがそう思うような時代がくればシビュラシステムは消えてゆくだろう”と応えます。

狡噛慎也が法を破る理由

狡噛慎也は、そもそもは法の下に犯罪者を捕らえていた公安局の執行官です。

槙島も今までのやり方で捕らえることができるのでしたら、法を破ることもなかったでしょう。

ですが、槙島は免疫体質でした。

免疫体質者はおよそ200万人に1人の割合で存在する、ドミネーター(人間の心理状態を計測できる銃)では捕らえるこのとできないサイコパスです。

凶悪な犯罪者であるにも関わらず、通常のやり方では裁くことができなかったのです。

唯一裁く方法があるとしたら、法を捨て、つまりドミネーターというシビュラシステムが作った銃を捨て、本物の人を殺傷できる銃を手にする、という道です。

狡噛は法を破り本物の銃を手にする道を選びました。

これは、自分自身も公安局の刑事の立場を捨て、槙島と同様の存在、犯罪者となることを意味しました。

全てを捨ててでも狡噛は銃を持って槙島を裁く、という道を選びました。

法律が機能しないなら、自分自身がルールとなって動くだけ、それが狡噛の選択でした。

狡噛も同質の犯罪者に仲の良かった同僚を残虐な方法で殺害されています。

槙島は同僚の仇でもあり、そのまま野放しにしておくことは到底できなかったのです。

槙島聖護が狡噛を認める理由

槙島は自分への協力者さえ時にゲームの対象にします。

彼が興味があるのは“命の輝き”だけです。

シビュラシステムの作った安全圏内にいる人々にその命の輝きはない、と言います。

“人は自らの意思に基づいて行動した時のみ価値を持つ、己の意志を問うこともせず、ただシビュラの信託のままに生きる人間たちに果たして価値はあるのか”

これが槙島の考えです。

彼は人間の本当の命の輝きが見たいがためだけに様々な人間を利用し殺害していきます。
これはシビュラシステムとそこに属する全ての人間に対する意思表示でもありました。

公安局の監視官も執行官も槙島にとってはシビュラシステムの犬でしかありません。

安全圏に身を置き、ただ掟に従うだけの存在、自分を裁くことさえもできない無価値な存在。

そして、呟きます。

“僕を裁けるものがいるとしたら、それは・・自らの意志で人殺しになれる奴だけだ”

シビュラシステムのドミネーターを捨て、本物の銃で自分を殺しにくる決意をした者だけが自分を裁くことができる。

狡噛は自らの意思で銃をとることを選びました。

槙島は狡噛を高く評価し認めました。

なぜなら狡噛が法に抗い自らの意思で自分に対峙してきたからです。

自らの意思を持ち動く者を槙島はなにより高く評価したのです。

“そうか・・君は・・・”、槙島が常守を生かした理由とは?

槙島は自分を追ってきた常守に銃を向け引き金を引きます。

ですが、弾はからでした。

その後、呟きます。

“そうか・・君は・・・”

槙島はそのまま常守をその場に残して去ります。

槙島のこの“そうか・・君は・・・”には何が込められていたのでしょう?
何に気付いたからこそ、常守を無傷で生かしたのでしょうか?

そもそも、“これ以上僕ら(槙島と狡噛)を侮辱するのはやめてくれないか”、と槙島にしては珍しく感情的になって最初は語っています。

先の狡噛との一戦以外で槙島がここまで感情的になったのは恐らく初ではないでしょうか。
そこまで常守は槙島を心理的にも追い詰めていた、ということです。

そこまで感情的な状態だったにも関わらず、次の瞬間に槙島は真逆の行動をとっています。

それは引き金を引いた後、常守に対してなにか気付いたからです。

一体槙島は何に気付いたのか?

急に現実に戻りますが、サイコパスのフィナーレイベントで塩谷監督が語った、「そうか、君は」の意味は、「君はここで死ぬべき人間ではないんだな」という思いからの発言とのことです。

ですが、その死ぬべき人間ではない、に至った経緯はそもそも何でしょう?

友人を目の前で殺した自分を殺さず、狡噛にも殺させなかった常守に恩義を感じ殺さずに立ち去ったのでしょうか?

常守がドミネーターではなく、本物の拳銃を持ち、狡噛にドミネーター(法を守るという意味で)を渡したことに気付いたからでしょうか?

いずれにしても不思議なのは、引き金を引いた後になって槙島がなにかに気付いている点です。

どのケースでも、槙島だったら拳銃を見た瞬間に全てのことを把握し、そのままなにもせずに立ち去っていそうなものです。
ですが、感情的になって引き金を一度は引いた後で何かに気付いています。

拳銃がからになっていたことで何かに気付いたのです。

狡噛がこの拳銃に込めたのは一発の弾丸のみです。

これは狡噛から槙島へのメッセージだったのかもしれません。

一発しかない弾丸、それは、狡噛が槙島に対して使う弾丸、もしくは奪われ逆に自分に対して使われる弾丸。

万一奪われた際に、それ以上弾を撃てないように。
狡噛は後から追ってくる常守の存在を知っていたので、自分が万一殺された後に常守が槙島と対峙することになっても弾が撃てないように。

もちろんそれでも槙島にはまだ剃刀があります。(実際この時は持っていないのですが本来の状況では持っている確立の方が高いです)

ですが、狡噛も槙島を認めていたのではないのでしょうか?

槙島なら自分がなぜ弾丸を1発しか込めなかったかの意図を理解するはず、自分(槙島が認めた狡噛)が認めた人間を槙島は殺さない、そう考えたのではないでしょうか?

あくまで個人的な1つの憶測ですが、槙島が常守をこの瞬間に認めたことだけは確かです。

自分には、常守に対して“託した”ように見えました。

塩谷監督の発言がありながら、勝手な発言をしてしまいますが、“君ならこの世界を変えられるかもしれない”、そう言いたかったのではないでしょうか。

常守・狡噛・槙島は立場は違えど一緒である

常守朱・狡噛慎也・槙島聖護はそれぞれに全く立場が違います。

常守と狡噛は槙島を追う、という意味で一緒のサイドですが、法を守ると法を破る、という意味では真逆の立場です。
実際に銃を手にした狡噛は追われる身でした。

それぞれがまったく違う立場です。

相容れることはありません。

ですが、槙島は狡噛は自分と一緒だと言います。

法を破り、自分を追ってきている。
最後に残ったたった1つの居場所(執行官としての居場所)さえも捨て、1人孤独になってもここまでやってきた。

時にその姿は、大義という範疇を超え、猟犬のようにさえ見える。

真逆の立場、考えでありながら本質は一緒。

常守は槙島にとっては全く一緒でありませんでした、銃の引き金をひくまでは。

彼女は自分の意思を持ってシビュラシステムに従っていたからです。

何の意思も持たず、ただ身をゆだねていたわけではりません。
むしろ、身をゆだねないために自らの強固な意思で身をゆだねていたのです。

常守・狡噛・槙島、それぞれに共通していたのは、“自らの意思で動いていた”部分でした。

それも、ただ自らの意思で動いていたのではなく、私利私欲の介在しない、自らの大義のために命をかけて動いていたのです。

それこそが槙島の言う、“魂の輝き”、でした。




まとめ

サイコパス

サイコパスには善悪の答えがありません。

槙島聖護も、行い自体は決して許されることではありません。

ですが、時に本当にまっとうなことを言っています。

人間の価値とは?
生きる価値とは?

そんなことは誰かに判断されるものでも勝手に決めつけられるものでもありませんが、槙島はシビュラシステムの中で生きる人間に対して問いかけます。

シビュラシステムもなんだかんだでそのおかげで人が安全に平和に暮らせています。
なかったら犯罪のはびこる崩壊した社会になっています。
失われた命もたくさんあったはずです。

今後は現実社会でもドローン・バーチャルリアリティー・AIとインターネット以上の大きな変化が起こってきます。

世界で起こる様々な問題も解決され、人間が働かなくてもすむ時代がいつか本当にくるのかもしれません。

労働や問題ごと・争いごとから解放された時、人は今度は何に価値を置き生きていくのでしょうか?

時代が進めば進むほど、なんのために生きるのか?この根本的な問いかけに対峙する機会もこれまで以上に増えていきそうです。

PSYCHO-PASS
ウェブサイト:http://psycho-pass.com/
セリフ引用元:著者:橋野サル 原作:サイコパス製作委員会