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前田裕二さんの経歴(生い立ち)は路上での弾き語りに原点があった


人生の勝算 (NewsPicks Book)

昨年SHOWROOMの社長である前田裕二さんの本を読みました。

その経歴は本当に努力の賜物だと思いました。

どの番組で見たのかは忘れてしまったのですが、“落合洋一と前田裕二はどちらも天才だが、前田裕二は目指すことができる天才の模範である”といった感じのことが語られていました。

個人的に、落合洋一さんは突出した天才だけれど、前田裕二さんは圧倒的な努力で積みあがった天才、ということだと思います。
と言っても、落合洋一さんも同様に相当な努力や忍耐の上での今があると思いますが。

ただ、前田裕二さんの本を読んで、逆境から本当に圧倒的な努力でこれまで歩んできた方なのだな、と感じました。

ここでは、今人気のストリーミングサービスの1つであるSHOWROOMが成り立つまでの前田裕二さんの経歴を以下にまとめてみました。

※ 前田裕二さんの本である“人生の勝算”の内容を参照している部分が多いので、ネタバレは困る、という人は、読んだ後にまた寄ってもらえると幸いです



路上での弾き語りからスタートする

前田裕二さんが物心着いた時に父親はすでに他界されていたそうです。
その後は母親に育てられていたのですが、その母親も8歳の時に他界してしまいます。

残されたのは前田裕二さんと10歳上の兄のみです。
その後は住む場所が見つからず、兄弟で1年程場所を転々としています。

小学校2年生でようやく親戚に引き取られますが、ここも折り合いが悪く馴染むことが難しかったそうです。
ここから、自分の力でお金を稼いで生きていかなくはならない、という思いが芽生えるようになったそうです。

駄菓子屋で働くために行動

驚いたのが、その手段として、働かせてくださいと近所の駄菓子屋まで頼みに行っていたことです。

小学校4年生の頃だそうです。
もちろんまだ子供なので断られたそうです。

ですが、小学4年生で働かせてください、と実際に動いていくその行動力には本当に驚きました。
もちろん、そうせざるをえない環境だった、というのはあると思いますが、ここら辺から前田裕二さんのその後の数々の努力は始まっている気がします。

小学生で路上弾き語りデビュー

小学校6年生の時には、アコースティックギターを手にし、路上で弾き語りを始めます。
これもお金を自分の力で稼いで生きていくためです。
また、後述するお兄さんとの出来事も大きなきっかけとなっています。

すごいな、と思ったのは、ここでも試行錯誤の上であらゆることを考えている部分です。

ただ流行りの曲を歌っているのではダメ、人が何に魅かれ立ち止まり聴き入ってくれるのか。
何の対価としてお金を払ってくれるのか、そ~いった本質的な部分まで考えていたことです。

もはや大人のビジネスのレベルです。
というより大人がビジネスで試行錯誤している部分です。

小学生の時点でここまでのことを考え、なにより行動に移していた部分に本当に驚かされました。

お兄さんの存在

お兄さんの存在はとても大きかったそうです。

世界で一番尊敬する人、と前田裕二さん本人が語っています。

おむつを替えるのも、毎日のように公園に遊びに連れて行ってくれたのも、10歳年上のお兄さんだったのです。
“無償の愛”、があることを確信させてくたのがお兄さんだった、と後に語っています。

ですが、前田裕二さんは少しだけ、俗にいう少し“グレていた”時期もあったようです。
警察のご厄介になったこともあり、そこでお兄さんを泣かせてしまい、これが全ての転機となります。

前述した小学生で路上弾き語りデビューしたのも、この出来事が1つの大きな転機となっていたのです。

深川高校へ

高校は都立深川高校へ進んだそうです。
偏差値は57と言われているので、相当勉強した末での入学だったのだと思います。

高校では英語のでディベート大会で優勝した経験もあるそうです。
自分が直感型の人間であると感じたため、論理的に考え言葉にできるスキルを身に着けたいと、英語のディベートに出るようになったそうです。

また、路上ライブでその後大学へ進学する資金も貯めたのだそうです。
大学へ進学の資金と言ったら、数百万は必要です。
これを路上ライブで稼ぐ、というのは驚きでした。

ちなみに中学・高校ではバンドを組んでいて、ハイスタやグリーンデー等弾いていたそうです。
どっちも好きなバンド、ハイスタは自分も高校の時弾きましたね、コピーできたの1曲だけでしたが。

早稲田大学へ

高校を卒業後は早稲田大学政治経済学部へ進んでいます。
早稲田大学の政治経済学部は偏差値が70です、高校入学の時と同様に相当な勉強をした末だと思います。

大学で起業についてもノートを作って事業案をいつくもまとめたり、友人と起業をしようと動きかけています。
最終的にはここで起業はしていませんが、この頃から“起業”、というプランは既に頭にあったのですね。

また、大学時代には世界も旅しています。
インドの寝台列車で出会った少年の出来事についても語っていました。

少年には下半身がなく、ドラムのスティックのようなものを使用し演奏を始め、それに無償に感動したとのことです。
手持ちのお金を全て渡したそうですが、少年は他のインド人によって最終的に外へ追い出されてしまいます。
理由はカースト制の中でも最下層だから。

逆境には2種類あり、“自分の力で乗り越えられるもの”“自分の力ではどうにもならないもの”、の2種類があるとここで気付かされたのだそうです。

USB証券会社へ

大学を卒業後は外資系であるUSB証券会社へ入社します。

ここに入るきっかけとなったのは、“人”、だったそうです。
“天才”、と思える人に出会うことができ、この人からスキルを徹底的に学びたい、という強い想いが入社の決め手になったと語られています。

入社後は、誰よりも早く来て働いていたそうです。
睡眠時間も毎日3時間程だったそうです。

人に好かれるよりも人を好きになる技術

天才、と呼ばれる上司の元で学んだのは、“人を好きになる技術”とのことでした。

“人に好かれる”、ということも確かに努力もありますが、やはり相性などもあるので、相手次第、という部分もあります。
ですが、“人を好きになる”、というのは自分次第です。

これはその通りだと感じました。

個人的には人を無理矢理好きになる必要はないと思います。
ですが、人はよく一側面でその人全てを判断しがちです。

その人が自分に対して敵意があったり、もしくは悪口を言っていたり、なにかしら自分にとってネガティブな存在であると、それでその人全てを判断してしまいがちです。

ですが、当たり前ですが、人間なので良い面もあれば悪い面もあります。
それは相手だけでなく自分もそうです。

悪いところより、その人の良いところを見つける、そこを好きになる、とても大切な部分だと自分は感じます。
正直これができると、本当に心底嫌い、となる人はほとんど人生においていなくなります。

なぜならほとんどの人が良い点を持っているからです。

サドルなしの自転車で毎日出社

これは面白かったです。

当時自転車出勤していたようですが、その時に駐輪上にとめていた自転車のサドルを盗まれてしまったのだそうです。
買いなおすも再び盗まれ、もはやあきらめてそのままサドルなしの自転車で職場に向かったそうです。

サドルがないので座れない、ので自然と立ちこぎになります。
すると、いつもより5分会社に早く着けることに気付きます。

朝の5分はとても貴重です。
これはいい、あえてサドルなしの自転車でその後はずっと出勤を続けたそうです。

すごいエピソードですが、かなり前向きな考えです。
同時にとても大切な考えだとも思います。

これが普通だったら物事のマイナス面だけみて、あ~あ、で終わってしまいます。
ですが、マイナスどころかプラスの思考で物事を捉えています。

実際本当にその通りな部分はよく私達の日常でも起きています。
ただ、その表面だけをそのまま捉えてしまうと、最悪だった、で終わってしまいます。

これは先ほどの、“人の良い面をみる”と一緒ですね。

同じ物事が起きても、そのままネガティブに終わらせる人と、むしろ真逆にプラスに捉えていく人がいます。
この思考、というより実際に大抵のことはプラスなのですが、とても大切な部分だと感じます。

UBS Securities LLCへ

最終的にその実力が認められ、UBS本社のあるアメリカへ転勤となります。

ここでも誰よりも早く来て、誰よりも働くことをモットーとしていたそうです。
結果、ニューヨークでもトップの営業成績を取るようになります。

アメリカでの日本株営業という仕事の中で、山を登り切ってしまった、そんな時に親戚の方の計報が入ります。

人間はいつ死ぬか分からない、だったら生きているうちに全力でエネルギーを投じられることに人生を捧げたい。

会社を辞め起業しよう、そう強く思ったそうです。

株式会社DeNAへ

最終的に、すぐに起業したわけでなく、株式会社DeNAへ1度就職しています。

というのも、そこにDeNA創業者である南場智子さんの存在があったからです。
実際に学生時代に前田裕二さんはDeNAの面接を受けており、最終面接で直に南場智子さんとは面識があったのです。

最終的にUSB証券会社へ入った後も、連絡をもらっていたそうです。
帰国後に会って自信のあった起業プランについて話してみたところ、その反応は厳しいものでした。

マッキンゼー出身の南場智子さんだからこその鋭い指摘に想いが揺らぎます。

ここで逆に“DeNAで修行しない?”という提案を受けるのです。

SHOWROOM設立

2013年にDeNAに入社した前田裕二さんは、2013年11月にSHOWROOMを立ち上げます。
この時に南場智子さんからの紹介で秋元康さんとの面会も果たしています。

2年後の2015年には、DeNAで立ち上げたSHOWROOMをスピンオフさせ、株式会社SHOWROOMを設立します。

SHOWROOMは、ストリーミングサービスのことです。
簡単に言ってしまうと、路上ライブの投げ銭が仮想空間に移動したサービスです。
数年前から流行っている、17Live(イチナナ)tick tock(ティックトック)のようなライブ配信サービスですね。

SHOWROOMは、アーティスト・アイドル・タレントにとりわけ特化しています。

ここは前田裕二さんのこれまでの過去と想いもつながっていますね。

中学~大学まではご本人もバンドを組んでいたそうですが、やはり音楽のみで食べていくことのできる人はごくごく一部です。
大半の人が最後には夢をあきらめていく、というのが現実な部分があります。

また、芸能人などでも本当にそれだけで食べていくことができる人はごく一部です。
事務所に所属していても、掛け持ちで働いてなんとか生計を立てている、という人が大半だったりします。

生まれながらのルックス等、どうしても努力だけではカバーできない部分も大きく影響してきます。
寝台列車で会ったインド人も同じ例です、どんなに努力してもどうにもならない部分がどうしてもあるのが現実です。

ですが、ストリーミングサービスでしたら、誰もが自由に参加できます。
自分の好きなことを自由に表現し、投げ銭という形でお金を稼いでいくことができます。

投げ銭と言ってしまうと少し雑に聞こえてしまうかもしれませんが、夢を持った人がその夢を叶えるために応援したい人がお金を払う、ということです。
プロジェクトやサービス実現のために資金を募るクラウドファンディング等と本質的には一緒の仕組みです。

最初は全く無名だったとしても、ここがきっかけとなり、人の目にとまり、本当に歌手や芸能人になったりすることもできます。
数百万円を稼がれている人もいるようで、ここの配信だけでも暮らしが十分に成り立っていたりします。

個人的に感動したのは、50歳を超えた女性がもう1度夢に向かって進むのを大勢の人が応援している部分です。
その方は30年以上前に元々おニャン子クラブ(1980年代に活躍したアイドルグループ)に入りたかったのだそうです。
ですが容姿等に自信がなく、親にも当時反対されたため、ずっとその夢をあきらめていたそうです。

それが勇気を出して、SHOWROOMに出てみたら、たくさんの人が応援してくれたのです。

誰もが平等に、努力すれば夢をかなえられる可能性のある場所、それがSHOWROOMなのだと思います。




まとめ

前田裕二さんの本を読んで、自分は共感する部分が多かったです。

人に負けたくないのではなく、自分に課された運命に屈したくない、とも語っていました。

逆境の人にも努力次第で誰もが平等にチャンスを掴める世界にしたい、その強い想いがSHOWEROOMに託されています。
実際にSHOWEROOMに命を懸けているとも語っています。

自分が応援したくなるのは、やはり物・サービスより、もちろんそれらもとても大切ですが、“人”、そのものです。

自分がずっと使い続けているマザーハウスの財布も、山口絵理子さんの行動力と想いに心が大きく動いたからです。
池袋のたまTSUKIという居酒屋(昨年閉店しています)にオープン以来ずっと通っていたのも(といっても時々ですが)、料理よりなによりオーナーがそこにいたからです。

物でもお金でもなく、その人のストーリーが、強い想いが人を動かします。

SHOWEROOMは日本だけでなく世界を目指すそうです。

国も人種も身分の位も超えて、誰もが平等に挑戦できる世界になったら素晴らしいですね!