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ブログ・AI・環境問題、そして、「これからの生き方」!

2020年1月3日

これからの生き方

もう2019年も明日が最後、本当に毎年言ってる気がしますが、あっという間の1年です。

今年最後はなんについて書こうか悩みましたが、これからの生き方、というテーマで書きたいと思います。

今回はもういろいろ全部無視して完全に自己満足的な記事&思想的な部分になります&写真も一切なしの長々の長文となりますので、もし少しでも興味やお時間ありましたら目次などから(リンクでとべます)さっと目を通してもらえると幸いです。

このブログについて

このブログ自体についてなにか具体的に書いたことがなかったので今回ここでその運営等についてお話させていただきたいと思います。

まず、ブログを書く時には本当に自分が書くことがニーズがあるのか確認して書いています。

ニーズが第一

自分が書きたいこと以上にニーズ第一で記事を書いています。

自分がどんなに興味があっても、全く読まれなかったら正直意味がない、というよりそれでしたらわざわざネット上のブログではなく個人的にノートかメモ帳などで日記で書けばよいとも感じるためです。

自己満足よりも人のニーズに応えることを第一にしています。

ですが、自分に関しては、基本自分が書きたい内容とニーズが一致していることが多いので、最終的には楽しみながらブログも書かせていただいています。

これはとてもありがたい部分です。

グーグルさんとの兼ね合い

と言いつつニーズがある、と好き勝手に書いていたら検索需要でトップページに表示されません。T T

2ページ以降に表示されてもほとんど読んでもらえることはありません。

グーグルさんが考えるこれは良質のウェブサイトと定義するいくつもの基準を満たしていないといけないのです。

つまりSEO(Search Engine Optimization)の知識が必要となります(と言いつつ自分はあまりないという)。

ニーズのあるキーワードがしっかりとタイトルに入っているか・html構造に問題はないか・質の良い被リンクをたくさん受けているサイトか・ドメイン維持年数は長いか、等々、その他にも細かく言えば数百の指標があると言われています。

仮にとても質の良い本当はトップページに入るような記事を書いても、的確なキーワードをタイトルに入れていなければ、評価してもらえず上位にページに表示されない、という残念な結果にもなります。

ちなみに今は権威性や受けている他サイトからのリンクがとりわけ重要視されているとも言われ、実際に自分が見る限り大手企業の公式サイトが以前よりも検索結果のトップページには多くなった気がします。

本当に良い記事が必ずしも上位にくるとは限らない

自分はSEO等について知る前は、良い記事のランキング順に上から続いているのだと思っていました。

ですが、自分自身がブログを書いているうちにそうでもないのだな、ということが分かりました。

自分がトップに来ているけれど、実際は自分よりも質の良い記事が2ページ目3ページ目にきてしまっていることがあります。

逆に、自分の記事の情報量や質がトップにいるサイトより良いと公平に判断できても、ずっと下にきてしまうことがあります。

ここは全てGoogleの判断なのです。

ですが、Googleも全てのサイトを人間が見ることができないので、そこはプログラム、そしてAIが入ってきます。

そもそも記事の良い悪い、というのは正確な答えのある数学ではないので、誰にも判断自体ができない、と自分は感じるようになりました。

いわゆる記事そのものの質とは関係ない別の方法で、今も上位にあがっているサイトもあります。
本当はトップに来るべき優良なサイトがトップにきていない、という部分があります。

Googleも日々進化しているので、以前より優良なサイトをどんどん上位にあげるようになっていますが、そもそも本当に良質なサイトとは、という根本の部分に還ると、読む人全員が1つ1つ全てのサイトを確認し、順位づけでもしない限り不可能な気もします。

生命の優劣と同様に、記事の優劣もつけるのはとても難しいのだと感じます。
と言っても一部のあきらかな記事は除きますが。

今後どんなにGoogleが進化したとしても、文章というのは読み手の感情面も大きく関わるため、この部分を的確に判断することは本当に難しいだろうな、と個人的に感じます。

収益について

ブログは収益化することができます。

記事に広告を貼ることで収益化につながります。
ユーチューブで表示される広告と同じ仕組みです。

自分もこのブログから収益があります(といっても細々ですが)。
借りているサーバー代金とドメインの代金という毎月の支出があるので、そこはせめて赤字にならないようにと。

ちなみにブログでは普通に数十万円~数百万円稼がれている方もいます。
主婦の方や副業の方でもけっこういるので、シンプルにすごいな、っと思います。

自分のこのブログの運営はもちろん経費があるので収益は大切なのですが、同時にそれとは別に書くこと自体も楽しみたい、という個人的欲求もあります。

自分が本当に良いなっと思う商品があればブログの中でもその商品の広告等を紹介する、ですがそれと同様に自分が楽しむこと・読んでくれている方が楽しめる・有益になる、ということを心掛けていきたいです。

地球環境

“他者(人間以外の含め)への優しさ”、これが自分が地球環境について考えることの根本だと思います。

温暖化・大気汚染・原子力・森林伐採等、地球環境に関する問題は細かく言えば山のようにあると思いますが、環境問題について考える、ということは、“自分以外のなにか・誰かを気にとめる”、ということです。

家族・友人だけでなく、全く会ったこともないどこかの誰か。
人間以外の生命、そして地球そのもの。

自分は地球環境について考えることのできる人は、“自分以外の誰か・なにかへの優しさ”、を持てる人だと思います。

これが環境問題について考えることの根本なのだと思います。

もちろんそんなことを考える余裕もない人も世界を見渡せばたくさんいます。
1日1ドルで暮らしたり、その日生きるだけで精一杯の人だって世界にはたくさんいますし、その人達に環境問題というのは酷です。

ですが、先進国に生きる人達は、少なくともその余裕が多少なりともあります。

余裕がないという人も多いと思いますが、それでも娯楽(嗜好品・趣味・飲み等)に使うお金の余裕も全くない、という人はほとんどいない気がします。

なにより、環境問題は、自分達自身の子供の将来に直接大きな影響を与えます。
後世に生まれれば生まれる程状況はより深刻になってきます。

ここまで言っておいて、正直自分自身がしっかりできているか、と言われると、あまりしっかりできていないと思います。

ですが、全くなにもやらない、よりも、自分のライフスタイルの中でできる限りで良いのでやっていくことが大切だと感じます。

自分がこのブログに“ゆる~くエシカル”という名前をつけたのも、白黒ではなく、自分の中でのできる限りをあまり気張らずにでもやることが大切だと感じたためです。

AIと5G、そしてデジタル社会

今は本当にこれまでの何千年という歴史の中で最も大きな変革期だと感じます。

この時代に生きれて本当に良かった、と個人的感想。

蒸気機関・産業革命・インターネットとこれまでの歴史なのかで大きな革命が起きてきましたが、AIはその中でも最も大きな“第4次革命”だと言われます。

その後の革命は人間ではなく全てAIが生み出すとさえ言われています。

AIに継承を鳴らす学者や研究者もいれば、全くそんなことはない、と言う人もいます。

ただ1つ言えるのは、流れはとまらない、というか、止められない、ということです。
日本がアナログからデジタル化していったように。

5Gも同様です、人体に悪影響だと世界ではデモが起こっています。
自分は別の部分で5Gはどうなのだろう?と思う部分がありますが、この流れも恐らくとまることはないです。

個人的にはアナログからデジタルな社会になればなるほど、アナログな部分・見えない部分が大切になってくる、また、そこに価値がでてくる、と感じます。

自分の足で現地に行く・体験する・人と直接会って話す、こういった部分がより大切になっていく気がします。

実際に今はアナログなものがクールという傾向が今世界の若い人の間にはあります。
レコード・ポラロイド・レトロゲーム、等、数十年前に流行したものが今再び注目を集めています。

今は見られない・手に入りずらい珍しいもの、という部分ももちろんありますが、そこに人の手の温もりのような部分も感じるからではないかと思います。

AIや機械が今後は台頭してくると思いますが、良い面もそうでない面もあると思います。
ネットと同様で使い方次第でもろ刃の剣にもなります。

かといってアナログに固執するのもまた違ってくると感じます。
世界は自分が良い悪いと関係なく常に変化し続けるからです。

両方を知っておく必要があると個人的に感じます。
また、両方を知っているからこそ偏りのないものの見方ができるのです。

自分は良い悪いといった部分以上に、デジタルな面にもアナログな部分にもわくわくします。

このアナログとデジタルの両方の時代を知る世代に生まれることができたのは、本当に幸運で、そして感謝です。

働き方

今は大手の企業でもたくさんのリストラが起きています。

特に最近は連鎖が連鎖を生んでいる気もします。

今までの終身雇用は、個人的には今も健在だと思いますが、現在起こっているリストラ、そしてこれからもっと頻繁に起こるであろうリストラで、今後徐々に失われていくと感じます。

これは今後を見通して、全ての社員を定年まで雇うのは難しい、せめて景気が悪くなる前に、ダメージが少ないうちに、という経営側の意向だと思います。

個人的に企業に努められている方で、副業が認められている方は、副業することをお勧めしたいです。

それも、できる限りその場限りのアルバイトのような焚火的な収入ではなく、自分が興味があったり、しっかりと自分のスキルを磨くことができ、仮に会社を辞めたとしてもそのスキルで食べていくことができるような副業がお勧めです。

今は個人でもやり方次第で収入を得られる、というか正社員の時よりも多くの収入を得ることができる時代になりました。

これが20年~30年前だったら、個人で開業して収入を得ながら暮らすとなるとかなり厳しかったと思います。

今は絶好のチャンスだと自分は感じます。
パラダイムシフトの時代です。

視野を広げスキルを身に付ける意味でも、なにか新しいことに飛び込んでいくという働き方もあります。

ですが、これは勢いで会社を辞めて起業することをお勧めしているわけではありません。
むしろそれはお勧めしません、はい、経験者は語る、です。

会社に勤められている方は、余裕のある範囲でなにか新しいことに挑戦するのがお勧めです。

過程と結果

過程と結果、どちらが重要でしょうか?

よく言われるのは結果ですね。

結果が出なければなんの意味もない。
実際にその通りだと自分も思います。

ですが、やっぱりその過程も結果と同様、いえ、時にはそれ以上に重要だとも自分は感じます。

なぜなら結果は”点”、過程は"線”だからです。

今生きている瞬間が過程で結果はその成果なのです。
結果は過程におけるひとつの通過“点”に過ぎないのです。

ただ、ここで誤解されてしまいがちなのは、過程はただ自分が好き勝手に生きれば良い、という部分ではない、ということです。

もちろんできますが、それで暮らしていけるとは限りません。
仮に収入がなくても、金銭的にぎりぎりの状態でも満足できる・楽しめる、という人だけに許されることです。

一番良いのは、もちろん自分が好きなことと収入が交差することで、ここが重なった時は全力で過程を生きるべきだと感じます。

バンドでも陶芸家でもマンガ家でも、本来だったら自分が好きなことで収入も得られるのが一番です。
ですが、世の中のニーズと自分の好きが結局単なる趣味の領域で、重ならないことも多いです。

自分は最終的にブログの部分でお話しましたが、自己満足を取るか、ニーズを取るか、の違いだと感じます。

恐らくニーズを取る・合わせるのはカッコ悪い、と感じる人は多いと思います。
とりわけ一直線で生きてきた人・自分にこだわりがある人。

ですが、自分よりニーズを第一に持っていける人はむしろ自分は素晴らしいと感じます。

なぜなら、本当に多くの人が必要としている欲しがっていることにしっかりと応えようとしているからです。
多くの人にとって有益で実際に役に立つことです。

そこに自己満足やプライド(低い意味での)はありません。
自己の欲求よりまず先に他者の満足です。

どちらが良い悪い、ということではなく(というかどっちも正しい)、自分がどう生きたいのか、の違いです。

実際に本当に才能のあるごくごく一部の人、芸術家等に多い天才と呼ばれる人はむしろ全て無視した方が良いと感じます。
周りよりも自分の満足・欲求を全て自分の好きなことに向けた方がむしろ良いです。

自分を天才と心から信じられる、または他人から言われそれを強固に信じられる人でしたら、自分の好きなように生きる道も決して間違いではありません。

細かく言えば、それも天才として社会で受け入れられた時点で人のニーズをしっかりと満たしている、ということになります。

過程が生きている瞬間で、その継続・延長線上が結果、だからかこそ、その過程を大切にし結果も視野に入れながら生きていく、これが今の自分の生き方です。

未来のIfをなくす生き方

If、もし~だったら、もし~していたら。

この“If”は程度の差こそあれ、人間誰しもが人生のどこかで考えることなのではないでしょうか。

ですが、過去には戻れません。(タイムマシーン等の話はここでは置いておいて)

自分の選択全てに一切後悔がない生き方が一番素晴らしいのですが、それはとても難しいことでもあります。

仮に自分が後悔がないと思っても、よくよく考えると後悔すべきだったことに自分自身が気付けてさえいない、ということもあります。

これこそ実は本当の後悔だったりします。

実際に自分自身も一切自分の選択に後悔がないと思ってある時点までずっと生きてきましたが、それは自分自身が後悔しなければいけなかったことに気付けてさえいなかったのだと、そう気づくことができました。

気付くことができても過去に戻って変えることはできません、ですが未来は変えれます。

過去のIfは消せなくても未来のIfをなくすことはできます。

もしあの時こ~していたら、そんな未来のifは“今”の自分自身が変えていくことができるのです。

この世界で生きるということ

この世界で生きる、ってなんなんでしょうね?

これは自分の結論なのですが、特に意味はない、です。

特に意味があって生まれるわけでなく、ただたまたまそれに生まれてきた、それだけだと思います。
アリも犬も花も木も、ただたまたまアリ・犬・花・木に生まれただけです。

ちなみにここでは輪廻転生や宗教・スピリチュアル的な部分は外した完全な自分の持論なのでご留意ください。

ですが、人間は自分も含めとても弱い生き物です。

意味がないと不安になります。
原因があって結果がないと不安になります。

だから、あの頭上に広がる青い世界は空と名付けよう、夜は真っ暗で怖い、なにかありそうだ、物音も聞こえるし、うん、それは妖怪ということにしよう、悪い人が罰せられないのは不公平だ、それでは被害者が浮かばれなすぎるし腹も立つ、因果応報という言葉と地獄を作ろう、といった具合に意味付けをしていきます。

自分はこれで良いんじゃないかと思います。

生きる意味は特にないから、自分自身がその意味を作っていく、これが生きる意味です。

なので、生きる意味は人によって様々ですし、それで良いと思います。

ただ、自分の人生の主人公は大統領でも総理大臣でもテレビに映る著名人でもなく、自分自身だけ。

スポットライトを自分に当てずに観客席で他人の人生の観戦をしていると、あっという間に人生は終わってしまいます。

自分の人生・道を自分で選択し、自らが意味を持たせ生きていく、この世界で生きるということはそういうことかな、と思っています。

多分一番大切なのは、その自分なりの意味を生きている間にとことん突き詰めて考えることなのかもしれません。

恐らくそれは、日々の仕事よりもなによりも、まず第一に、どれだけの時間をかけてでも、優先して考える必要のあることなのかもしれません。

最後に

完全に自己満足で個人的な意見・考えを全面に出してしまった記事でしたが、たまにはこんなのもありかな、と長々書いてしまいました。

ここまでお読みくださった方、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございます。

そして今年もブログを読んでくださった方、本当にありがとうございました。

来年はいよいよ2020年、オリンピックですね!
オリンピックはまだ当分先だな~と思っていたら、もう来年!!

と言いつつテレビをずいぶん前に捨ててしまった自分なので、恐らく見れませんが。

来年、というかその先も未来が自分は本当に楽しみです!

みなさんも2020年も良いお年をお迎えください!

PS. 来年第一段の記事は「2020年に流行りそうな食のトレンド」でいきたいと思いますので(もはや恒例化、そして去年のトレンド果たしてあたったっけ?)、ご関心ある方はぜひまたお立ち寄りください!