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マーク ザッカー バーグのスピーチにみるエシカルな生き方

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もう数ヶ月前にはなりますが、フェイスブックの創業者マークザッカーバーグが母校のハーバード大学で演説を行いました。

アメリカでは演説内容に対し政治色が強い等の意見もあったりしますが、個人的にとても良い演説だったと、共感できる部分もたくさんあったのでいくつか取り上げてみたいと思います。

一見、エシカルというテーマと特に関係なさそうですが、大きく演説の中で触れている、関係しているなと個人的に感じる部分が多々ありました。

ちなみに、演説の日本語翻訳もYou Tube動画でこちらのリンクから見れます。

マーク・ザッカーバーグ スピ-チ ハーバード大学卒業式(YouTube)



目的を持つということ

まず演説の中で目的を持つことの大切さについて触れていました。
ただ、個人としての目的だけでなく、全ての人が目的意識を持つということについて強く述べていました。

ケネディ大統領がNSAS宇宙センターを訪れた時の例も取り上げ、ほうきを持っている清掃員に仕事内容を尋ねたところ、清掃員は人類が月へいくお手伝いをしていると答えたと語っていました。

また個人で旅行をした時には、少年院や薬物の中毒になってしまった少年達と話し、彼らはもし何か人生においてやることがあれば、放課後のプログラム後にどこか行くところがあれば、人生は変わっていただろうと語ったとのことでした。

自分がこれらの話を聞いて思い出したのは、1リットルの涙という映画と北大路魯山人でした。
正直、内容はどちらも全く関係性がないようですし、恐らく思い浮かべるのも自分ぐらいかもしれませんが、本質的な部分は一緒だと感じました。

1リットルの涙で感じた存在意義と目的

まず1リットルの涙についてですが、不自由なく健康に暮らしていた中学生が、脊髄小脳変性症という病気にかかり、身体に障害が出始め、次第に動けなくなっていってしまうという1980年代に起こった実際の話を元に作られた映画です。

自身は映画館で見たのですが、もう12年前のことなので、細かい部分までは内容を思い出せません。
ただ、映画を見終わった後、痛感した部分がありました。
それは、人が本当に辛くて、きついのは、お金がないことでも、貧乏なことでもない、誰からも必要とされないこと、自分自身がこの世で無価値であると感じてしまうことだと。

もちろん、お金がないことも貧乏なことも、自身はそこまで大変な思いをしたことがないので、簡単には言えませんし、経験した方のみが語れることだと思います。
けれど、それはどんなに大変でも、物理的な問題で、本当に必死になって何にでも取り組めば、いつか解決できる可能性があります。

心の問題は簡単にはいきません、逆にお金があろうがなかろうが、人は不幸せになります。
1リットルの涙の中で、障害を発症し、徐々に動くこともできなくなっていった子は、今何のために生きているのか、夢があって貢献したくても、身体も口もむしろ動かなくなり、役に立ちたいということさえ叶わなくなっていく。
彼女は次第に生きる目的を失っていきました。

これは自身は何よりも辛いことだと思いました。
彼女はしきりに誰かの役に立ちたいと言っていました。
けれど、病気のためにその夢ももはや叶わないと確信に変わっていく、なんのために存在するのか、かつての目的や目標を失っていくのです。

マークザッカーバーグは、全ての人が目的意識を持つことの必要性を述べていました。

自身も1リットルの涙を見て以来、本当に人生において大切なことは、自分自身が生きていると価値を感じられること、社会に必要とされ、また貢献できていると自分自身が感じられることなのだと強く感じるようになりました。
そして、それは決して個人のみで終わるのではなく、全ての人が人生において生きがいを持ち、やりがいを持てる社会にしなくてはならないということです。

北大路魯山人にみる没頭できるなにか

自身は個人的に骨董品に関し、専門家の方から講座を受けるようになったこともあり、北大路魯山人について知りました。
人物的に賛否両論はあるのですが、講座を受けるにつれ、北大路魯山人がどれだけ努力を重ねてきた人物なのかを知るようになりました。

北大路魯山人は、とりわけ、陶芸家として有名でその作品には数十万円の価格がつきます。
また、料理の腕も高く評価されており、会員制の高級料亭も運営していました。
骨董品と料理の両方でその暮らしはかなり裕福になったそうです。
骨董品でも料理でも卓越した才能を発揮した北大路魯山人でしたが、その基礎は幼少の頃、書道で身に付けていました。
そこで身に付けた、芸術のセンスが骨董品にも料理にも引き継がれ、その才能を開花させるのです。

後年、北大路魯山人は、自分がお金を持っていても、悪事に走ったり、道をそれたりしなかったのは、全て書道という芸術があったおかげだと語っています。
彼には書道、骨董、料理という、人生において全てをかける程の大きな生きがいを持っていたのです。

マークザッカーバーグは、旅の途中で少年院にいる少年達、薬物の中毒になってしまった少年達と話したと言っています。
少年達は、もし何か人生においてやることがあれば、放課後のプログラム後に、どこか行くところがあれば、人生は変わっていただろうと彼に語ったそうです。

自身はふと北大路魯山人の話を思い出しました。
もし、この少年達も、他のことを忘れるぐらいに没頭できる目標を、生きがいを見つけていたら、出会っていたら、少年達が語ったようにきっと人生は全く違ったものになっていたでしょう。

世界レベルでの問題への取り組み

環境問題と病気の根絶への取り組み

“私達がこの地球を壊してしまう前に、気候変動問題を止めるためにみんなで協力したらどうか。
ソーラーパネルを製造、設置することができます。"

“世界の全ての病気を治すため、ボランティアに頼み、その得られた体内データ、遺伝子データをシェアするのはどうか。
今日私達は病気になった人々に、その病気の治療法を見つけるという作業の50倍以上のお金を使用しています。"

環境問題を解決すること、病気を全てなくしていくといっとことについても述べています。
ここでも両方とも、個人や国という単位ではなく、世界レベルで解決していくことを提案しています。
また、気候変動問題のためのソーラーパネル、病気の解決のための体内データ、遺伝子データと具体的に名前も挙げています。

石油のような資源もはいつか枯渇しますし、またそれが元で争いも生まれます。
地球、ひいては人間自体にダメージを与える暮らしより、少しでも環境に負荷をかけない道に向け、奪い合うのではなく協力し合い、取り組んでいくことは、今後益々大切になってくると思います。
病気についても、環境問題と同様、個人、都市、国家ではなく、世界規模で解決していかなくてはいけないという部分はとても大切だと感じました。

グローバル・ベーシック・インカム

“成長をGDPのみで測るのではなく、どれだけ多くの人が意味があると感じることのできる役割につけているのかを測れる指標をもたなければならない*

GDPだけでない指標を持つべきだということについて触れています。
自身はこれを聞いて、真っ先にブータンが頭に想い浮かびました。
ブータンには国民総幸福量、GNHという国民全体がどれだけ幸せを感じているかを示す指標があります。

経済成長は確かに大切ですが、それは本質ではありません。
そこに中身が伴っていなければ、見せかけだけで、意味がないどころか悪影響になることもあります。
本当にそのことで人が幸せになっていくのか、社会に役立っているのか、このことを示す指標を持つことはとても大切です。

また、具体的にグローバル・ベーシック・インカムについても取り上げています。
ベーシック・インカムは国が国民に最低限の暮らしができるよう無条件で収入を支給する制度です。
たとえ最低限でも、無料で与えたら、人は働かなくなる、年金がなくなる等賛否両論ありますが、個人的にはベーシックインカムは良い流れを生むのではないかと思っています。

ベーシック・インカムはまず人々にチャンスを与えます。
1度社会のレールを外れると、とりわけ日本はもう同じレールには年を重ねれば重ねる程戻れないといった傾向が強い気がします。
それが原因で、どんなに辛くてもレールから外れることも、また大きくチャレンジすることもできずに終わってしまうことが多いのではないのでしょうか。
けれど、もしその時に最低限の保証があったら、失敗してもまたチャレンジすることのできる受け皿があったら、きっともっとたくさんの人が活き活きと幸せに生きていけるのではないかと思います。

個人的には、お金をもらうことで、それだけを依り処に暮らし、浪費していくのではなく、それを使ってチャレンジする人が増え、そこから社会に大きく貢献する人、発明、仕組み等も生まれ、良い影響を与えていくのではないかと思います。
何より、アイデアや才能があるのに、お金がないために、教育が受けられない、チャレンジできないという、富による差、未来の人財の損失を解消することができると思います。

世界市民

世界市民という言葉も最後にでてきました。
この言葉はその通りだと感じました。

正直、自分自身も特に何も考えずに日々を暮らしていると、個人や自分の知覚できる範囲の情報、レベルで物事を考えてしまいます。
けれど、個人の幸福だけを、自分の一番近くの幸福だけを望むのは少し違う気がします。
もちろん、自分、そして身近な人を大事にすることはとても大切なことですし、素晴らしいことです。
けれど、やはりそれだけでは最終的に個として、点として物事を捉えていることになります。

この行動は自分や周りを確かに幸せにするけれど、もっと広い範囲で考えた時にはどうなのか。
この部分はとても重要だと思います、なぜなら、それは時に考えることを要求するからです。

正直、自分や周りのことを大事にするというのは、そもそも最初から好きなので、大きな努力や考えを伴わず自然とできてしまうことだからです。

本当に大切なのは個としてのレベルでなく、国を超えた、世界に生まれた1人の人間として地球規模で物事を考えていくことです。
会ったこともない世界の誰か、地球という規模での影響、世界の一員という視点で物事を捉えていくことが大切だと思います。




まとめ

マーク ザッカー バーグのスピーチで共感した点は、一部の個だけが目標を持つ、利益を得て幸せになるのではなく、地球全体として相対的に良くしていくことの重要性を語っていた点です。
また、誰かがやるだろうではなく自分がやるのだと強く主張していた点にも、facebookを生んだ人物としての説得力がありました。

今の時代は本当に急激なスピードで物事が進化発展し、世界とも一瞬で繋がることができるようになりました。
1人1人が国を超え、交流し、個の利益を追求するのではなく地球全体の利を考え行動していくことがこれから求められることなのだと思います。
それがエシカルに生きるということなのだと思います。



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