江戸東京たてもの園でジブリ(千と千尋の神隠し)のモデルの建物を見てきた感想!

江戸東京たてもの園が今海外から来る観光客の人達の間でもじわじわと人気が高まっています!
なんでもジブリ映画の千と千尋の神隠しのモデルになったのが1つの理由でもあるそうです!
実際に宮崎駿監督もここを訪れ映画製作のヒントにしていたのだそう。
今回自分は全ての建物を見て回っていたのですが、ここではジブリに関連する建物のみご紹介できればと思います。
※記事内で使用しているジブリの画像はスタジオジブリ公式ページより"常識の範囲でご自由にお使いください"とのことで提供された画像となります
目次
江戸東京たてもの園と宮崎駿監督の繋がりは?

千と千尋の神隠しの制作にあたって宮崎駿監督が度々訪れ参考にしていたのが江戸東京たてもの園です。
釜爺の働くボイラー室・湯婆婆の営む油屋や借りぐらしのアリエッティの台所のモデルにもなっています。
宮崎駿監督だけでなく、スタジオジブリの作画スタッフもたびたび江戸東京たてもの園を訪れてスケッチをしていたのだそうです。
スタジオジブリも同じ小金井市内なので、散歩がてらにも来れる距離ですね。
その他、江戸東京たてもの園のマスコットキャラクターであるえどまるは宮崎駿監督がデザインしています。
自分も見た瞬間にジブリっぽいキャラだなと思い後から宮崎駿監督デザインと知りました。
緑豊かな野外博物館のマスコットにふさわしい色をイメージしてデザインされたそうです。
ちなみにお土産屋さんではえどまるのぬいぐるみも売ってました。
千尋が迷いこんだ不思議な街


江戸東京たてもの園に入って東の下町中通り沿いにあるエリアが千と千尋の神隠しの参考に使われた建物です。
ここに釜爺の働くボイラー室や湯婆婆の営む油屋等の参考となった建物もあります。
全体の雰囲気が千尋が最初に迷いこんだ不思議な町をそれとなく醸し出しています。


この下町中通り沿いのエリアでは大正~昭和初期の下町の風情を楽しむことができました。
釜爺が働くボイラー室のモデル「武居三省堂」


釜爺の働くボイラー室のモデルとなったのがこちらの武居三省堂です。
関東大震災後の1927年に立てられた文具店で元々は神田須田町にありました。
このお店は看板建築が大きな特徴で、前面がタイル貼りになっています。
ちなみに1923年に起こった関東大震災後の昭和初期は、多くの建物が燃えにくい素材で装飾したこの看板建築の様式で建てられています。
書道で使う筆や炭などが置かれていますが、元々は書道用品の卸をしていたお店だったそう。

左奥には桐箱の引き出しが天井までずらっと連なってるのが見えます。
全部で350個もの引出しがあるそうです。

釜爺のボイラー室では薬草棚として使われていました。
実際のお店では桐箱には筆が種類ごとに収められていたそう。
釜爺が引出しから電車の切符を取り出し千尋に渡していたのも印象に残るシーンです。
その電車のモデルとなった車両も園内にあったので最後にご紹介します。
宮崎駿監督はこの部屋を特に気に入っていたのだそうです。
湯婆婆の営む油屋のモデル「子宝湯」


湯婆婆が営む油屋のモデルがこちらの子宝湯。
1929年~1988年と昭和初期から終わりまでの59年間を東京都足立区千住で営業していた銭湯です。
関東大震災後に普及した東京にある銭湯を代表する東京型銭湯建築です。
東京型銭湯は寺社仏閣を思わせる外観で、唐破風と呼ばれる屋根の造形・瓦屋根・煙突などがその特徴です。
建物外観自体は映画のように大きくないですが、スタジオジブリの公式HPの中で「大いにインスピレーションを与えた」と記載されています。
実際に銭湯の屋根の形は似ていますね。
カオナシも入ってましたね。

こちらの銭湯は靴を脱いで中に上がることができました。
大人の入場料金は金十五円だそう。
現在銭湯は500円~600円程で入れるので、当時の十五円はそのぐらいの価値だったのかもです。

脱衣所は広くて解放感がありました。

中は男性と女性で仕切り壁によって分けられ、奥の壁には富士山が描かれています。
この富士山の絵は、まさしく日本の由緒ある銭湯って感じがしますね。

千尋の両親が豚になったお店「鍵屋」


千尋の両親が豚になって食事していたお店のモデルが鍵屋。
元々1856年の幕末に台東区下谷で営業を始めた居酒屋さんです。
新選組や坂本竜馬が活躍していた時代からなので、今回紹介する建物の中では一番歴史が古いですね。
ただ、こちらの建物の外部と内部は1970年頃の姿を復元した形です。
木造でこれといった装飾のない建物の外観がまず良いな、と思いました。
まさしく江戸時代っぽいです。
入って正面にはメニュー。
ゆどうふ・とりもつやき・味噌おでん・にこごり・ところてん・冷奴、等々。

カウンター席がまた風情があって良いですね。
隣のお客さんや店長とも気さくにいろいろ話せそうな雰囲気です。

千尋の両親のように大皿でがつがつ食べるというより、ちょこちょこ小皿料理を頼みながらお猪口で一杯というのが似合う居酒屋さんです。

千尋とリンが寝泊まりした油屋の部屋のモデル「高橋是清邸」


千尋とリンが寝泊まりしていた油屋の部屋のモデルが高橋是清邸と言われています。
高橋是清は明治から昭和にかけて活躍した日本の政治家で、1932年に日本銀行副総裁、1921年には首相まで務めあげた人物です。
高橋是清邸はつまり日本の首相であった人物の邸宅ということです。
1902年に建てられ1993年江戸東京たてもの園に移築・復元されています。
この邸宅がなにより有名なのは、二・二六事件事件の現場でもあるいうことです。
1936年2月26日に陸軍青年将校らが引きこ起こしたクーデターである二・二六事件により高橋是清は命を落とします。
自分は内部も入れることになぜかその時気付かず、外観の写真を1枚撮ってスルーしてしまいました・・。
ここの2階の部屋は千と千尋の神隠しの中では千尋とリンが寝起きしていた部屋のモデルと言われます。
龍の姿のハクも湯婆の追手である紙の鳥から逃れるため飛び込んできましたね。
次回また行く機会があれば内部も確認したいと思います。
千尋がカオナシと一緒に乗った電車?「都電7500形」


終盤千尋がカオナシと一緒に乗った海原電鉄の電車のモデルかも?と言われているのがこちらの都電7500形。
1962年に20両製造され、渋谷駅前発着で新橋・神田須田町まで走っていた路面電車です。
この路面電車は中に入ることもできました。

中は床が木製なのがまた味わいがあります。
こんなレトロな路面電車に乗ったことはないのですが、なぜか懐かしい気分になりました。
坐ってみると、少し固めな弾力感があって、自分が子供の頃の電車は確かこの形状と弾力性だったと少し懐かしくなります。
この車両は銭婆に会うため千尋がカオナシと乗った電車のモデルとも言われています。

車内の雰囲気とか自分は好きですね!
まとめ
江戸東京たてもの園は千と千尋の神隠しが好きな人には必須の場所ですね!
釜爺のボイラー室もモデルである武居三省堂と湯婆婆が営む油屋のモデルとなった子宝湯はとりわけ有名です。
借りぐらしのアリエッティモデルとなった建物もあったのですが、写真撮ってなくてご紹介できませんでした、申し訳ありません。
ここはではジブリ関連の建物のみご紹介しましたが、他にも当時の暮らしを彷彿とさせるレトロな建物がたくさんありました。
いくつかの建物は中にも上がって見学することができたのが良かったです。
宮崎駿監督やスタッフも度々訪れ映画の参考にしていた江戸東京たてもの園、ジブリが好きな方にはぜひお勧めしたい人気上昇中のスポットです!
江戸東京たてもの園
住所
東京都小金井市桜町3-7-1 (都立小金井公園内)
最寄り駅
武蔵小金井駅(JR中央線)(北口より徒歩約30分)(北口よりバスで約5分)
東小金井駅(JR中央線)(北口より徒歩約45分)(北口よりバスで約5分)
花小金井駅(西武新宿線)(南口より徒歩約60分)(南口よりバスで約5分)
チケット
400円(一般)・200円(65歳以上の方)・320円(大学生)・200円(高校生)・無料(中学生以下)
開館時間
9:30〜17:30(4月~9月)
9:30〜16:30(10月~3月)
休館日
月曜日(月曜日が祝日または振替休日の場合その翌日)・年末年始 (詳しくは下記公式ウェブサイトをご確認ください)
ウェブサイト
https://www.tatemonoen.jp/